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パール博士はインド人の国際法学者であり、東京裁判において判事を務め、世に言う「日本無罪論」を展開したお方である。 東京裁判が終わり、世界中でこの日本無罪論の研究がなされた。 だが、おかしなことに日本だけ、その研究が戦後しばらく成されることがなかった。 それはGHQが発禁にしていたということにも原因があるだろう。 今、そのような足かせがなくなった今、このパール博士の日本無罪論を検討することは日本の歴史を知る上で必須と考えるのである。
以下は、パール博士が行った東京裁判の判決に対する、後の国際世論である。[
2, P180]
国際法学界に光を増すパール判決
- 国際法の権威であるハンキー卿
著書「戦犯裁判の錯誤」にて「裁判官パール氏の主張が、絶対に正しいことを、私は全然疑わない。」と言明
- 英法曹界の重鎮であるF・J・P・ビール氏
著書「野蛮への接近」
- ロンドンの世界事情研究所による「世界情勢年鑑」(1950年度)には、54ページから104ページにかけて、東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付けた。
- アメリカのチャールズ・ベアート博士
著書「ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究」
- アメリカの最高裁のウイリアム・O・ダグラス判事
証言「国際軍事裁判所は政治的権力の道具以外のなにものでもなかった」
- モントゴメリー・ベルジョン
著書「勝利の正義」
- フレダ・アトレイ
著書「報復の高い代価」
- 哲学者ヤスパース
著書「戦争の責罪」
博士はその後、東京裁判における立論の正当性と、国際法論理にたいする見識が高く評価され、選ばれて国連の司法委員会の委員および議長に就任しその要職を全うした。
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尚、その要項は大東亜戦争の項に表すことにし、ここではパール博士の史跡等に項を当てたいと思う。
パール・竹中記念館(箱根)
この記念館は、箱根の山奥、ひっそりと隠れている。 訪れる者もなく、ただ、密かにその真実の輝きを放っていた。
まさに、東京裁判の真実の如く、彼の功績は密かに眠っていた。
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尋ねたが、鍵が空いていない。
今日、連休でもあるこのよき日に、この素晴らしい功績に目を向けようという者はほとんどいないのか・・・。
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入り口より眺める、パール博士の姿(左中央の写真)
パール博士いわく「すべてのものをこえて人間こそは真実である この上のものはない」 |
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記念館の脇にひっそりとある、功績を称える石碑。
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この記念館は日曜・祝日のみ開いているのだが、前日までに連絡をしなくてはいけないようだ。 私は連絡をせずに行ったので入ることが出来なかった。
パール博士への賞賛の声 (H15.12.6 追記)
以下は、書籍「戦史を破る」(S27発行)に載せられた、笹川良一氏による序文である。[2, p4]
終戦後の混乱の中に、勝者は戦勝の驕気(きょうき)(※)と、敗者に対する憎悪と軽蔑と、多分に復讐心を免れず、敗者は虚脱と卑屈と阿諛迎合(あゆげいごう)(※)に陥って、大勢の決定的な力が言論行動を支配して居る時、その勝者の中に在って、冷静と、沈着とを持つて、いかなる偏見や反感をも抱かず、毅然として自己の正義と信ずる所を緻密な理論を以って堂々と陳述するパール判事の論告ほど人間の正気を発揮したものはない。これは人類の感激であり、アジアの光栄であり、印度の誇りであり、日本の感泣である。
ここには、パール博士に感嘆した笹川氏による、博士への忌憚の無い愛が述べられている。 続いて、博士の行った日本無罪論への言及がなされている。
この論告には遠く歴史にさかのぼつて悲しむべき人種の偏見が徹底的に究明され、戦争の原因が公明正大に追及され、国際法の実体が解釈され、各被告に関連して、戦争の経過と行動とが挙上に指す様に説明され、法そのものゝ厳正な権威をあくまでも堅持して、「法律的外観をまとつてはいるが、本質的には政治的である目的を達成するために、本裁判所は設置されたに過ぎない−−といふ感情を正当化し得る様な行動は本裁判所のなし得ない所であること」を断言し、戦勝国は敗戦国に対して、憐憫(れんびん)(※)から復讐まで、どんなものでも施し得るが、戦勝国が敗戦国に与へることの出来ない1つのものは正義である。戦勝国のいふ正義とは強者の利益に外ならないといふことをこの裁判で亦例証してはならない。
まさに、東京裁判でなされたことは”復讐”そのものであった。 だが、ここで言われているように”正義”は復讐によって与えることはできなかったのだ。 続けて、博士による確信に満ちた予言のような言葉が引用されている。
「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取つた暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであらう」と論断して、全被告は無実であり、起訴事実の全部から全員即時免除さるべきであるといふ判決を進言したことは、世界史の将来に黄金の文字を以って録されるであろう。
私はかの裁判は我々をさばいたといふよりも、連合国自身をさばいたものであり、パール判事のこの判決を得たことに於いて貴い意義があつたと信じている。これこそ日本人たるものゝ必読の文字であり、全世界のベストセラーになるべきものであると信ずるのである。
引用者注:
■きょう‐き【驕気】 おごりたかぶった気質。
■あ‐ゆ【阿諛】 おもねりへつらうこと。おべっか。「―迎合」「―追従ツイショウ」
■れん‐びん【憐憫・憐愍】 あわれむこと。なさけをかけること。れんみん。「―の情」
と、あるように、パール博士は全ての日本人が知るに値する人物であるのである。
東京裁判判決に向ける言葉 (H16.2.11 追記)
以下は、博士ご自身による日本の皆へのメッセージである。
私は1928(昭和3)年から45(昭和20)年までの18年の歴史を2年8ヶ月かかって調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文のなかに綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。
(昭和27年11月6日 広島高等裁判所での公演から抜粋) [4]
この言葉は、まさに真実を示しているのである。
人物一般データ
以下に、ラダビノード・パール氏の一般データを記す。
パル Radhabinod Pal 1886-1967
法律家。極東国際軍事裁判(東京裁判)判事。インドのベンガル州に生まれ,カルカッタ大で法学博士の学位をとり,1923‐36年カルカッタ大法科大教授。のちカルカッタ高等裁判所判事などを経て,44年カルカッタ大副学長。46年(昭和21)東京裁判のインド代表判事に任命され,裁判開廷直後に来日した。48年11月の判決では多数意見に同意せず,のちにパル判決書と呼ばれる少数意見書を提出。そこでは東京裁判の事後法的性格を指摘し,戦争における個人責任を否定し,東京裁判の設置自体を疑問視した。また侵略戦争の定義は困難であるとし,1928年以来の日本の侵略行為が共同謀議であることは立証されておらず,また共同謀議はそれだけで国際法上の犯罪ではないと主張した。さらに捕虜虐待や非戦闘員の大量虐殺など通例の戦争犯罪でも,被告たちの間接責任は立証されておらず,むしろアメリカの原爆投下命令こそが問題にされるべきだと強調した。そして最後に,各被告は起訴事実全部につき無罪と勧告した。東京裁判終了後,52年以降国連国際法委員会の委員などを務め,57年常設仲裁裁判所判事となった。 粟屋
憲太郎
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平成15年11月29日 23時00分 記
平成15年12月6日, 13日追記
平成16年2月11日 追記
■リンク■
1 大東亜戦争の大儀 〜 アジアの忠臣蔵 〜
■参考■
1 パール博士の日本無罪論 (田中
正明 著) 慧文社
2 戦史を破る (吉松 正勝 編訳)東京書籍
3 全譯 日本無罪論 (R・パール 著)日本書房
4 靖国神社境内 "遊就館"
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