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(人によって定義が多様であるが、) ここでは「旅」を以下のものであると定義するものとする。
「日常生活を離れ、観光の現場で観光者が文化に接すること。」
その上で、以下、観光の前提知識から始めて「相互文化理解」に至る糸口をいくつか紹介し、更に、観光の現場で構築されている「観光文化」とは何かを紹介することにより「旅とはなにか」を明らかにしてゆきたい。
観光を生み出す2つのしかけ
古典的な視点であり、現代においてはこうした二分法が必ずしも通用しなくなっているが、このような視点もあるということで紹介したい。
その1:オーセンティシティ(本物性、本来性)の追求
前提条件として、以下のものがある。
- 近代の疎外された世界に住んでおり、そこでは本当の自分を実現することができない。
このような状況の中で、慣れ親しんだ空間から見知らぬ異空間に移動することは「いつもと違う自分、本当の自分」を表現・求めることに繋がり、そこで言わば「生まれ変わり」を体験することになるのだ。
このような構造は、文化人類学でおなじみの「儀礼の構造」と類似している。 この構造とは、人が「非日常」を体験することにより成長するという構造である。 例えば、とある部族は成人の儀式として「盗みや物を壊しても良い特別の日」や長い「隔離期間」用意している。 このような「一時的な非日常」体験することにより新たなる自分として生まれ変わるというもの、それが「儀礼の構造」である。
人は「旅」という儀式を通過し、新たな人として生まれ変わるのだ。 それが、「オーセンティシティの追求」の構造である。 これを求め、人は旅をする。
ところで、住み慣れた家・田舎を抜けて都市へ出て自己実現を求めようとする近代人そのものが「観光客」であり、観光客の研究は「近代性」の研究でもあると捉えている人がいることを知っておくことは「観光」を理解するにおいて助けになるかもしれない。
その2:擬似イベント
これは、観光業界からの宣伝を指している。 次のような循環がなされる。
1.観光地に対する「イメージ」が生産・供給される。
2.観光客が供給物(ガイドブック等)を見る。
3.観光客は、「提供」されたものと同じ物を見、同じような体験をする。
3まで来ると1に戻り、観光客は各地をさ迷うこととなる。 このような構造を指して、「擬似イベント」と呼ぶ人もいるようである。
だが、上でも少し述べたように、このような構造だけで捉えられるほど「観光」の場は狭いものではない。
以下、観光に見られる様々な姿をひとつづつ見ていくこととしたい。
ツーリスト文化(tourist culture)とは
「ツーリスト文化」とは移動する西洋人から発せられた文化であり、その根底には「オリエント(東洋)に憧れる西洋人」という姿がある。 ただ、今は西洋においてはその誤りが正されつつある。 日本においては特に一時期、脱亜入欧の考えを元として”あたかも自分が西欧人であるかのように「オリエントに憧れる西洋人」を日本人が演じる”という失態を見せていたりもした。 以下は、この「ツーリスト文化」が如何に出来たかを辿っていきたい。
以下は、「ツーリスト文化」の説明である。
「ツーリスト文化」は観光地に国内外のさまざまな地域から到来する観光者が持ち歩く文化の混交によって創出されるものと定義される。「ツーリスト文化」はもちろん地元の文化をエキゾチックな要素として取り込んではいるが、観光者が自国で消費している文化とそれほど違いがない。(中略)それは英文化、仏文化、独文化として認識されるというより、断片的で混交し、支離滅裂で常に再創造されるものである。すべての文化が国境を越える人、もの、イメージの流れの結果として作り直される。(中略)観光とはなによりも「よく知られているもの」を確認しに行くものであり、「真正性」とは無縁の行為である。[1,
P58]
この書籍では、この「支離滅裂に作り直される」の例として、ラスベガスの構造物を例に挙げる。ラスベガスではエジプト、ビクトリア、未来的なものなど、「真実」とはかけ離れた支離滅裂な構造物が提供されている。 それは「幻想」であり、その「幻想」こそが「観光」の本質であるとこの著者は指摘する。 そして、はっきりと「真正性とは無縁の行為」であると断言している。
このような「ツーリスト文化」は、西洋人が「エキゾチック」な辺境の地に憧れるという「オリエンタリズム思想」と密接に結びついている。
オリエンタリズムとは
辞典によると以下のようなものである。
オリエンタリズム Orientalism
ヨーロッパ人のオリエント(中近東,北アフリカ,ときにアジア全域をも含む)の風俗や事物に対する趣味と好奇心をいう。[3]
以下は、オリエンタリズムの発生に関する記述である。
その萌芽的現象としては16世紀のベネチアのような,東方世界との接触の機会の多い場所で例がみられるが,おもに18世紀にはじまり19世紀の前半に全盛期を迎える。(中略)文学においては,ガランによる《千夜一夜物語》の翻訳(1704‐17),モンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ボルテールの《マホメット》(1741)などがその早い例で,啓蒙主義的文明批評のにおいが強かったが,しだいにエキゾティシズムに傾いてゆく。ユゴーの《東方詩集
Orientales》(1829),ラマルティーヌの《東方紀行》(1835)などがロマン主義文学者による代表例である。音楽では,モーツァルトの《後宮よりの誘拐》(1782)のトルコ趣味が早い例で,後にはベルディの《アイーダ》(1871初演)のような,エジプト風俗に関してかなり歴史的考証を経たものも見られる。美術の分野では,ロマン主義の代表者ドラクロアの《アルジェの女たち》(1834),《ミソロンギの廃墟に立つギリシア》(1826)などが東方への熱い思いを伝えるが,アングルのような新古典主義の画家による《グランド・オダリスク》(1814)など,ロマン主義に限らず幅広い層の関心をあつめた。[3]
このように、最初は単なる趣味のものであった。 だが、それが次第にキリスト教や西洋思想と結びつき、いびつな形となった。 そして、以下のようなオリエンタリズム批判へと繋がって行く。
元来〈オリエンタリズム〉とは,近代ヨーロッパの文学・芸術に見られる東洋趣味,ないしは欧米の東洋学・東洋研究を意味するやや古風で中性的な用語であった。しかし1978年,アメリカの批評家・比較文学者エドワード・サイード
E. W. Said(1935‐ )が問題提起の書《オリエンタリズム》を著し,この言葉を〈ヨーロッパのオリエントに対する思考と支配の様式〉として批判的に位置づけ,世界的に大きな反響を巻き起こして以来,サイードの立場や方法に対する賛否を超えて,この新しい〈サイード的定義〉が共通の符牒として一般に広く用いられるようになった。[3]
そして、以下がザイードによる「オリエンタリズム」の説明である。
彼によれば,歴史的にヨーロッパ(西洋)は,オリエント(東洋)を自己とは正反対の他者として措定し,世界をヨーロッパ対オリエントという厳格な二項対立によって徹底的に割り切ることで,初めて自己のアイデンティティを獲得しつづけてきた。その過程でオリエントには,ヨーロッパとは対比的に,後進性,不変性,受動性,停滞性,官能性,奇矯性,曖昧性,敵対性,被浸透性,非合理性といったさまざまな負の表象が画一的・総括的に割り当てられ,しかもそれが政治的権力と学術的権威とによって繰り返し強制されて〈オリエントのオリエント化〉が進められた。その結果,嘆かわしいオリエントを進歩したヨーロッパが救済するという図式が生まれ,それが近代の植民地主義や人権差別主義・自民族中心主義を正当化する根拠となった。[3]
ザイードの批判により東洋研究は大幅に改善・活性化され、異文化理解における分野は多大なる影響を受けたようだった。
このように、西洋から発せられた「ツーリスト文化」は自由・権利などと言った西洋思想と深く結び付いている。 日本人はこの思想に合わせる必要もないのだが、ここしばらくの西欧同化風潮により、多くの日本人旅行者はこのような「エキゾチック」な旅を盲目的に求めるようになってしまっている。
観光文化(tourism culture)とは
「観光文化」とは「観光の現場で観光者が出会う文化」を意味する。 「観光文化」の定義は人によって多少異なるが、大体において以下のようなものである。
「観光者の文化的文脈と地元民の文化的文脈が出会うところで、各々独自の領域を形成しているものが、本来の文脈から離れて、一時的な観光の楽しみのために、ほんの少しだけ、売買される」ものと定義される。[1,
P55]
この定義には、以下のような意味が含まれている。
- 「本来の文脈から離れて」は、「そのままでは提供できない為に加工されている」という意味である。
- 1により、当初から「不十分」であることが条件付けられている。
- 「加工されている」ことが当然であり、多くの人は真正性は問わない。(「真正性」を求める人々とはその土地にアイデンティティを求める人か、或いはオリエンタリズムを心に描いている人である。詳しくは後述。)
わかり易い例で言えば、「南の島に訪れる先進国の住民」である。 地元民は現地の文化・自然を観光客に見せる。そのままではギャップが大きすぎ、観光客は楽しむことが出来ない。よって、「加工」して切り売りされる。 加工されたものが当然である故に、ほとんどの場合「真正性」は問われない。
近年話題になっているエコツーリズムも観光の1つであり、自然環境や文化をいかに「売る」かが問題になっている。
「観光文化」に対する、先進国からの2つの視点
その1:「消滅」
「伝統文化が消えてゆく」という視点である。
その2:「生成」
「文化が境界を越え、古い伝統が新しい時代に適応し、そこに新しい文化が生成される」という視点である。
現地の人の証言ではないのであれば前者の視点の中にはオリエンタリズムが眠っている。 前者の視点は一見すると文化を尊重しているように見えて、実はそこに住む住民を「本源的/原始的な世界」に閉じ込めようとするオリエンタリズムあってこその視点であるのだ。 現地住民は先進国との交流の中で「新たな文化」を作り出そうとし、実際、作り出している。ささやかではあっても、だ。 それが後者の視点であるのだ。 前者の視点は「美学」の中に自らを閉じ込めてしまい「現実」から目をそらすこととなる。
観光文化の場においては、地元住民と観光者との意識のギャップが否応なく生じることとなる。それが先進国と第3世界の間であればなお更のことである。 たとえば、先進国のエコツーリズム推進者が自らの行為を地球規模の「正義」と思い込んだりもする一方、現地住民は自然よりも外資が必要という一心であったりするような状況である。 このような先進国住民の姿も、根源を辿って行けば多くの場合オリエンタリズムに行き着くものなのだ。 それは批判されなくてはならない。(ここに挙げた現地住民側の意見はあくまでも”例”である。全てがそうではもちろんなく、背景も様々である。(H16.2.1追記))
以下は、このような混沌とした状況の中、観光人類学が担うべき役割を述べたものである。
今日、民族文化というものもグローバルなシステムのなかに組み込まれてしか存在しえない以上、文化はますます越境し、混交化にむかうだろう。こうした文化状況において重要なことは、民族文化を「消滅」に向かう物語としてではなく、新たな創造へといたる「生成」の物語として語ることではないだろうか。(中略)観光人類学はそれゆえ、「消滅の語り」の美学のなかに逃げ込むのではなく、新しい文化の創造の証人になるべきなのである。[2,
P111]
かつてあった、「西洋の近代文明」と「民族の伝統文化」という二分法ではこの状況を解き明かすことは不可能となっている。それらは対立的なものではない。 空回りをしたり、更に強大なグローバリズムが襲ってはいるものの、文化を取り入れて再構築を行う現地の人々の「つよい」姿が現地にはあるものなのだ。
以下は、「消滅」による視点が如何に誤っているのかと、いわゆる「伝統」とは何なのかを説明した文章である。
「伝統文化が破壊される」式の語り方は伝統文化というものを太古から連綿とつたわってきた本源的な実態として理想化するという誤りを犯している。
エリック・ホブスホームらが示したように「伝統」は多くの場合近代の「発明」−−−といってよくなければ、「再構築」といってもよいのだが−−−であって、伝統文化が近代西洋文明の影響のもとに変容したとする「文化変容」のモデルではこうした文化のダイナミズムを説明できない。[
2, P9]
よって、「観光文化」を理解するためには「生成」を理解する必要があるのである。 地域住民にとって本当に大切なものは、その「発明/再構築」の過程で新たな形となって「生成」されて行く。 生命の宿っているものは、常に再生成が行われる。
以下の引用を、再度強調して行いたい。
強調しておかねばならないが、こうした現象のなかに私たちが見るべきことは、現代において「伝統文化」が消滅していくという物語ではない。そうではなくて、文化が境界を越えて享受され、古い伝統が新しい伝統に適応し、そこに新しい文化が生成してくるという事実である。[2,
P10]
このような「生成」の視点こそが、「観光文化」を理解するためのポイントなのである。
まとめ
旅とは、人それぞれ異なるものである。 同じように見えても同じものは1つとして存在しない。 それでもなお一般化して考えると、人が日常生活を離れ、観光の現場で観光者が文化に接することが旅であると定義することもできる。
西洋人はツーリスト文化を生み、オリエンタリズムを生み出してきた。 一部の日本人もそれを模倣している。 旅行者と現地の文化が出会う場所に生まれる文化を「観光文化」であるとすると、それは現地の人々の「発明品」なのであり、一般観光者の旅行前における認識とは異なる文化であることがほとんどだ。
そのことを悲しむのは観光者の勝手である。
かつて、単なる”オリエントへの興味”であったオリエンタリズムが西洋中心主義により歪んだ姿に変化し、”現地文化を隷属化する”ことを正当化する理由にまでなった。
これは軍事的な面だけでなく文化面も含まれる。 それをかつてザイードが指摘し、そのゆがみは解消されつつある。 日本では、西洋中心主義はかつて謳歌したが今は下火となっており、それに伴いオリエンタリズムも下火となっている。
だが、オリエンタリズムから生じた様々な視点はまだ残っている。
旅をするにあたっては、オリエンタリズムを廃し、現地文化を消え去る物語としてではなく創造的な「生成」の物語として見る必要がある。
現地の文化を、消えて行く文化ではなく、新たな「生成」の文化をもって見つめる必要がある。 前者の「消滅」の視点はオリエンタリズムあって故のものであるからだ。
この理解が観光者の視点を混迷から救い、その観光者に接する現地の人々までも混迷から救うことに繋がるのである。
旅とは、日常生活の文化から離れ、他文化と接することである。 それは、観光者が"故郷の文化”を持ち歩き、とある場所で他の文化に接することである。 その接触で生じるのは”文化間交流”である。 その交流で、オリエンタリズムのような、片方の文化を崇拝するような思想をあらかじめ持っていたならば相手の文化を理解する妨げとなる。 文化間交流で必要なのは、自らの文化への確かな理解と、相手の文化を理解するだけの澄んだ心持ちなのである。
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