サン・マルコ広場の鐘楼 Torre dell'Orologio、サン・マルコ聖堂、ドゥカーレ宮殿

2005-07-28 記載
トピックイタリア

サン・マルコ広場の鐘楼 Torre dell'Orologio

今朝は、7時過ぎに起きた。 周囲の皆は、一人を除いて既に出発したようだ。

私も起きて、少し身支度をしてから出発をする。

まずは宿の近くのバールでカフェラテとクロワッサンを食べる。カフェラテが1.8ユーロでクロワッサンが0.8ユーロ。合わせて2.6ユーロは若干高めのような気もするが、まあいいかと思い食べる。

そして、ボートの24時間乗車券を買ってからいざ、メインルートの1号ボートに乗る。

今日は、サン・マルコ広場の周囲にある美術館の数々を見ようと思うのだ。

ボートに乗り込むと、運良く、一番前の特等席を取ることができた。


日当なので少し暑いが、景色が良いのだからと思ってそのまま楽しむ。

ここは一番有名なルートなので、どこかで見たような景色もちらりほらり見受けられる。

が、それにしても、ボートから眺める景色のなんと贅沢なことか。

遊覧船ではなく、交通の為のボートなので何度も乗るし、その景色がどこから見ても様になっている姿は、さすがはヴェネチアだ。

遠くに、サン・マルコ広場に立つ鐘楼 Torre dell'Orologioが見える。

基本的に私は混雑が苦手で観光地も好きではないし自然の中が好きなタイプではあるが、ここヴェネチアは、そのどれも当てはまらないのにもかかわらず、私の今まで滞在した海外の中で一番のお気に入りとなりつつある。

(とは言っても、数えるほどの中での一番ではあるが、それでも、飛びぬけていることは確かだ。)

ボートはやがて、サン・マルコ広場へ。


私は、なんとなく体が動かなくてサン・マルコ広場をひとつスルーしたのですが、もう1つ先で降りて大正解。 水上から、聖堂と教会の姿をよくよく眺めることができました。
鐘楼 Torre dell'Orologio

そして、着いたのは良いが、まだ博物館の開いている時間ではないので、しばし椅子に座って時を過ごす。 これまた贅沢・・・。

時間も経ち、目の前にある大きな大きな鐘楼が開いたように見えたので、とりあえず登ってみることに。

6ユーロは少し高いかな・・・ と思ったが、それでも、登った時に見た景色を思えば、登って良かったと思えた!

遠くまで広がるこの景色の、なんて静観なことよ。

水路を眺める。

かつて”最も高貴な共和国 La Serenissima”と呼ばれたヴェネチアが、ここに存在している。

美しい家並が遥か彼方まで続く。

あちらも、こちらも。 ずっと遠くまで見える。

ここで、娘連れの母親が、写真を取ってくれと頼みに来た。 そのカメラは携帯カメラ。 背景が写らないクオリティだったので、自分のカメラで撮ってあげようかとも思ったが、躊躇してしまった。 親切のタイミングを逃してしまって、少し落ち込む私。

そして、鐘楼を降り、サン・マルコ聖堂の方へと足を進める。

サン・マルコ聖堂

サン・マルコ聖堂の方へと足を進めると、何やら行列が。 なんでここだけこんなにも行列なんだ・・・ と思いつつもその列に並び、中を見ようとする。

 すると、入り口で、私の小さなバッグもクロークに預けろと指示をされる。 ガイドブックとカメラを入れていたから膨らんで見えるが、バッグは小型なのに・・・。 と思いつつ、仕方が無いのでクロークに預け、その後、行列を横に見つつすり抜け、入り口の係の人に預り証を見せ、中に入った。 このシステムがどうも分かり辛かった。

この聖堂は、ヴェネチアに偉大な守護聖人が欲しいと思ったヴェネチアの商人が、エジプトのアレクサンドリアから盗み出した結果として建てられたものであるとか。


微妙だなあ・・・ と思いつつ、中に入った。


すると・・・。 どうも、雰囲気が重々しい。

長く居る場所ではないと思い、すぐさまそこを後にしました。
誰でしょう

外に出ると気持ち悪さは嘘のようになくなった。


建物の中と外でこれほどまでに雰囲気が違うとは・・・。


気のせいだけではない、とてつもなく重々しい、はっきりとした重圧感および息の詰まる感じがしたのは確かだ。

そして、荷物を取り、周囲の美術館へ。
美術館の窓からの眺め

まずは目の前にあるコッレール博物館から。 それにしても美術品が多いなあ・・・ と思いつつ眺める。 こちらの美術品は大きいことにも加え、部屋全体が美術品となっていることもあり、驚きを隠しえない。
美術館の窓からの眺め

かっこいい。


首の2つある鳥?

彫像などもあるが、それにしても、この建物自体が美術品として素晴らしい出来だ。

コッレール美術館の後は、再度、サン・マルコ宮殿へ。


やはり、きちんと見ないのは後悔が残ると思った次第だ。

先ほどとは違い、今回は、入ってすぐ右手の階段を登って上の階へと上がったところにある美術室へと入った。

すると、先ほどと同じく、やはり体が少し重くなる感じだ。


気持ちの構えが出来ていたので先ほどのようにきつくは感じない。

サン・マルコ宮殿の2階から眺めたサン・マルコ広場。


こうして、ヴェネチアの人々は同じ広場を眺めていたのだろうか。

サン・マルコ宮殿の2階の広場から、すぐ横にある像を眺める。

2階から、先ほどの鐘楼を眺める。


 その後、中の美術室を少し早足で駆け抜けたが、ルートを通っている限りでは倒れるほど強く気持ち悪くなる場所はなかったように思える。

でも、長く居るところではないな・・・ と思い、中にはいろいろと展示物があるようであったが、わりとすぐに外に出てしまった。

そして、再度荷物を預けてから、少し離れたところにあるピザを食べに行った。先日見つけたところで、そこそこの値段で食べられるのだ。

そこでピザを食べ、COOP(生協?)で100%オレンジジュースを買う。 その後、ボートで再度サン・マルコ広場まで戻ってきた。

ドゥカーレ宮殿

荷物を取り、その後は、サン・マルコ聖堂の横にあるドゥカーレ宮殿へ。 ここもまた美術品の宝庫で・・・。 部屋が昔のまま残されていて、その部屋の壁やら天井やらがそのまま美術品の彫り物や絵画になっており、これまた楽しむことができた。

美しい回廊。

サン・マルコ聖堂の方を眺める。

回廊をゆく。

建物の全てが、美術品だ。

次は、ボートに乗り、街中のいくつかの博物館へ。

これは、それほど規模は大きくなかったが、それはそれで楽しむことが出来た。

これまた美しい。豪華な部屋。

サン・マルコ広場を遠くから眺める。


そして、一度サン・マルコ広場を離れた。

今日はたくさん美術館を回ったなあ・・・ と思いつつ、ふと、先日のコンサート会場に辿り付いた。 すると、今日もコンサートがあるという。 聞いてみると、ここで行われるものは先日と同じものですが、違うものがサン・マルコ広場の近くで行われるという。

それは25ユーロだったので、聞いてみることに。 最後の晩には丁度良い感じだ。

今日のコンサートは、これ。


先日はヴィヴァルディのコンサートで、違う場所で行われているコンサートもヴィヴァルディだと言う。

どうやら、ヴィヴァルディはこのヴェネチアで生まれ、ヴェネチアで没したのだとか。 ヴィヴァルディの演奏会が2度続くのも、偶然ではないということか・・・。

そろそろ日が暮れる。


この贅沢なヴェネチアのサン・マルコ広場でクラシックの生演奏が聞ける贅沢さはなんと表現したらよいのか。

それにしても、先日の演奏は素晴らしかった。 この、”最も高貴な共和国 La Serenissima”と呼ばれたヴェネチアにふさわしい奏でである。

今日の演奏はサン・マルコ広場の近くで8時半からだというので、宿の近くのCOOPでちょっとしたお土産を買い、一度宿に戻り、荷物を置き、シャワーを浴び、その後、コンサートに出かけた。
今夜のコンサート会場

このコンサートも、これまた素晴らしい・・・。 が、好みから言えば先日の方が演奏は好みであったかな。 それはともかく、最後の夜にふさわしい演奏を聞くことが出来た。

こちらのコンサートは、街中で、近所の人たちにちょっと聞かせるという雰囲気が出ていて、フレンドリーで親しみやすい点も良いと思った。


帰り、ボートに乗ったら鉄道駅の一つ手前の「ローマ広場」駅が終点であった。 1番ルートで乗ると必ず駅の前を通るのですが、これは港の外側を回ってきたルートであったので、駅の前には止まらなかった。 まあいいやと思い、駅まで歩いて行く。

すると、右を見るとバスのターミナルが見えるではないですか。

明日のバスの時刻を確認しようと思い、ターミナルを確認する。

すると、6時50分の便が丁度良さそうな感じである。7時50分になると少し遅すぎるので、これが丁度良い感じだ。 バスの係の人に聞いたら、切符を先に買っておけば良いと言うから行ってみたら、空港行きは会社が違うので既に閉まっているとのこと。 あらら。 割とこういうところがいいかげんな気もするが、イタリア人の気質なのかな??? という気がしないでもない。


そして、明日、帰国した。

愛すべきヴェネチアよ。 短き滞在は終わった。

最後に、ワーズワース作の以下の歌を載せたい。


「ヴェネツィア共和国滅亡に寄せて」 ワーズワース 作

かつて、彼女は華麗な東方を制圧し、
西の護衛兵となっていた。誕生したときから
ヴェネツィアの価値は落ちなかった。
自由の長子、ヴェネツィア。
ヴェネツィアは明るく自由なおとめの都、
どんな策略にもたぶらかされず、どんな力にも破れなかった。
そして、みずから連れ添いに選んだのは、
永久不変の海。
たとえ、過去の栄光が褪(あ)せ、
幾多(いくた)の称号が消え、力が衰えようとも、
その長い命が最後の日を迎えたとき、
幾ばくかの嘆きの辞を贈ってしかるべきだろう。
われはわれは人として、過去に偉大だったものが影にすぎなくなっていたとしても、 その消滅を悲しむべきなのだから。

ヴェネツィア帝国への旅[ジャン・モリス著]東京書籍、P13より。
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