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パタラング(Phatthalung)

滝を出て、元の大通りまで同じ道を戻って行く。

道の周辺には人々がとてもたくさんいて、「アジアは、どんな山奥に行っても人がいる」という言葉を実感しつつ走った。

そして、大通りに戻る。

Phatthalung(パタラング)まではあとちょっとだ。

広がる草原の中を、走って行く。

そして、やがてはPhatthalung(パタラング)に到着した。


街中に入ってすぐに、このような、とても目を惹かれる建物を発見することに。

例によって王族と見られる人の肖像画と、後ろには立派な建物。

何やら書いてある。


ここには、次のようにある。

英文 機械訳
Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit

In wishing to observe a royal tradition in establishing directional Buddha images known as Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit for the auspiciousness as well as well-being and security of all subjects, His Majesty King Bhumibol Adulyadaj granted permission to the Territorial Defence Department to cast four images. They were taken to be enshrined in 4 provinces on the four cardinal points around Bangkok; namely, Lampang, Phatthalung, Saraburi and Ratchaburi. The images measure 49 inches in lap width and were cast from an alloy of brass, platinum and copper in a proportion of 3:1:1, weighing 1,400kg. in total. The general public were also allowed to smelt an alloy of gold, silver and copper for the casting. The images were conferred to be enshrined in toe four provinces on 27 December, 1968.

Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit

すべての科目の健康と保全と同様、吉兆のために Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit として知られている方向を示す釈迦像イメージを確立することにおいて、国王の伝統を観察することを望むことにおいて、彼のブミボル Adulyadaj Majesty 国王は4つのイメージを投げるために領域国防部に許可に応じた。 Lampang 、 Phatthalung 、 Saraburi と Ratchaburi 、(彼・それ)らはバンコクの周りに;すなわち4の基本的なポイントの上に4つの州に安置されるためにとられた。イメージはラップ幅で49インチの長さがあって、そして、全部で1,400 kg の重さがあって、3:1:1の割合で真ちゅう、プラチナと銅の合金から追放された。一般大衆は同じく配役のために銀の、そして銅の金の合金を溶解することを許された。イメージは1968年12月27日に足指4州に安置されるために授けられた。

どうやら、仏陀の記念碑が4つの町、Lampang、Phatthalung、Saraburi、Ratchaburiに納められたことを示すプレートのようだ。

これがその仏像・・・・ かな?


そして、Phatthalung(パタラング)の中心部へ。

Phatthalungの町を回った中では、駅前のマーケットにある屋台のうちいくつかの人が当然のごとく観光者値段(今までの価格の2倍近く)を付けてきた。 観光者値段を付けてくることは良いが、その時の対応がちょっとつっけんどんな人もいて、駅前だからかなあ? とかちょっと思った。 もしかしたら、言葉の通じない外国人だから冷たく接している感じになるのかもしれないけれども。と言うのも、昼食を食べる時、食事を持ってきた時にタイ語で”ありがとう”の”コップンカップ”を言ったら、むすっとしていたおばさんがにこっと笑ったということがあったので。 旅行者価格を付けられて、その対応に気分を害することもあるけれども、もしかしたらお互い様なのかな、とかちょっと思う。

”どの国にいようとも親切な人はいるし気の悪い人はいる”というごく当たり前の結論を出すことは可能であるが、単純には割り切れない、割り切るには更なる理解がいる、一方、割り切ることは本当に好ましいことであるのか、ということを感じるのであった。

ちなみに、旅行者価格は誰もが付けてくるわけではない。 品物によっては、旅行者価格の時とそうでない時がある。 250mlの瓶入りペプシコーラなど、5バーツの時と10バーツの時がある。 少しづつ相場もわかってきた。 わかってくると買わないことも出来るし、文句を言う事も出来る。 短期旅行者が文句言えないのも当然ということはすぐに実感。

先ほどちょっと実験で、焼き鳥の小さなものは恐らく5バーツかな、と思って、値段を聞かずに1本買ってみた。そして、10バーツを差し出してみたら、そのおやじはお金を一瞬じっと見て、何も言わずにポケットに入れ、作業を続けた。私の方を見ようともしない。 私は少し気分が悪くなった。気にしすぎかもしれないが。 値段を聞くのがルールであるとすれば、ルール違反は私の方ではある。

とは言っても、このようなケチな小銭のトラブルとは言え何度も何度も遭遇するので、多少うんざりすることは確かだ。 タイは、つまらないことで評判を落としているようにも、私には見えてしまうのだ。 少なくとも、私はタイを必要以上に他人に勧める気が起きない。 そこまでの魅力を、既にタイに感じなくなってしまっているからだ。 このあたりは、相性もあるだろう。

田舎の、良い土地柄をたくさん見てきただけあって、なんでこんなつまらない人たちの為にタイのイメージを悪くしなくてはならないのだと思うのだが。


本当は、ここに書いたこと以上に考え込んでしまったのだが、その一部を書くに留める。 思いつめるのは、昔からの私の悪い癖だからだ。



夜、7時過ぎにいきなり花火の音がし出した。ホテルの窓から眺めてみても見えない。どんな花火であるかだけでも見ようと、急遽、支度をしてホテルの外に飛び出した。 が、この時カメラを持っておらず、素晴らしい光景の写真を取り逃すことに。

花火は、そんなに遠くなさそうだった。 花火の方向に向かって、足を進める。 歩きながら、上空に広がる大きな大きな丸い花火を見た。 日本のように10連発ということはほとんどないようだ。 単発、或いは数発の花火が間隔を置いて炸裂している。

やがて、1kmかそのくらい歩いただろうか、昼間に通った記念碑の前が、明るく、更に、大きな音で何かが流れているのが見えてきた。 そこは運動場のようで、その先に王室の人だと思われる女の人の大きな大きな肖像画を背景に、歌を歌って皆はそれを聞いているではないですか。 その会場に十分近づいた頃から、花火の姿が見えなくなった。 なんとタイミングの良い・・・。

運動場を見ると、今人々がいるずっと後ろの方までゴミの散乱が見られるので、もっと早い時間にはもっともっと遥かに多くの人が集まっていたのだな、ということがわかる。 私は椅子の空席を見つけ、歌をしばらく聞くことにした。 この時聞いた歌は先日聞いた演歌風のメロディというわけではなく、曲ごとに違った種類のメロディの元に歌を歌ったりしていた。

約30分経ち、これらの歌で終わりかと思っていたら、何と、メロディと共に踊りがいきなり始まった。 周囲の人は何のことはなく見ている。 小さな女の子が妖精の姿をして出てきたり、きらきらした服を着た10歳前後の女の子たちがしとやかな手使い・腰使い・足使いで踊りを踊ったり、もう少し年の上の、15歳から18歳ほどの女の人、中には男の人も、踊りを上手に、年齢相応に踊っていた。 下手だからといってどうなるということでもなく、年齢相応、技術相応に踊っているのを、この地域の人たちが暖かく、まるで大きな家族のように見守っている、という感じだ。 舞台の上で度々ちょこまかと作業の人などが動き回っているが、それが全く不自然ではない。 皆、よく知っている仲で、楽しくやっているという感覚を覚えた。

歌を4~5曲、踊りを7~8曲ほど見ただろうか。 その踊りの、特に手つきに私は見入ってしまった。 メロディも、リズムのいいものから落ち着いたものまで、いろいろあった。

今回の旅では、これを見れただけでも来たかいがあると思った。 それほど素晴らしく、家族的な愛に満ち溢れた光景であった。 (全体としては)洗練が十分にされていないかもしれないが、感じるものが多分にある光景であった。

踊りに見とれ、そして、踊りで終わりかな・・・ と思ったら、何やら皆が後ろに下がり始めた。 舞台の前を少し空けるようだ。 何が始まるのだろう・・・ と思ったら、しばらく後に、トントコトントコというリズムの良い音楽が聞こえてきて、やがて、きらきらした鎧を纏った人が、そのリズムに合わせて足を細やかに足踏みさせながら少しガニ股、腰を少し下ろした格好で、三角形の旗を持って、まるで戦闘の先陣を切るかのごとく少しづつ歩み出てきた。

これは一体・・・ と思いつつ、見入っていた。 メロディはどこか中国風の笛が混じっており、鱗のような鎧兜、それに合わせた仮面が細やかに動いている。 足つきはしっかりしており、腰が丈夫であることが動きから見て取れる。タタータ、タルタルラー、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、タルラルラーーーー。そのような音楽が、ずっと続く。 何やら、後ろで言葉を喋っている人がいる。 もちろん、タイ語なので何を言っているのかわからない。 が、どこかで読んだ記憶によると、このようなものは昔の物語の再現であることがあるそうだ。 何か、古代の物語や前世紀の実話などを元にして、民族として語り継ぐ為に劇にする。そのようなシチュエーションであると考えると全て合点がいく。

面白いのはその動きとニュアンスであるのだが、一応、少しだけ説明をすると、最初に、ちょっと怖い仮面を被った1つの軍が出てきてパフォーマンスをした後に幕から引き、もう1つの、今度も仮面をしているのだけれども大将らしき人だけ仮面を被っていない軍勢が来て、パフォーマンス後に最初の軍勢が出て行った方角から入ってくる。 そして、戦いになるのだが、戦いと言っても歌舞伎のような形式的な型を見せる戦いをしばらく見せ、途中にいくつか大技のようなものを披露してその度に拍手が出たりして、剣や旗のふるまいによる戦いのシーンを見せつけてくれた。 そして、最後に仮面大将の軍勢が負けたのかな? と思われるパフォーマンスはあったのだけれども、最終的にはどちらの軍勢も大将が車(荷台のような、当時の戦闘時における車)に乗って堂々と撤退していったので、どちらが勝ったのかはっきりとわからなかった。 勝ち負け以外の結論なのかもしれない。 或いは、恩赦をしたとか。


そのような素晴らしい歌と踊りと劇を、最初は途中で抜け出す予定だったのが結局最後まで見てしまい、かなり遅くなってしまった。 私は、少なくとも12時は超えていて深夜2時近くなっているかな・・・ と思いつつ急いでホテルに帰ったが、ホテルに着いたのが10時半だった。どうやら、体内時計は日本時間でいるらしい。(2時間の時差)

ホテルは快適で、すやすやと眠りについた・・・。


注:Phatthalung(パタラング)の発音が合っているかどうか、あまり自信なし。

 

 

 

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