どうやら、この横には小学校低学年向けの学校があるようだ。 どうも、学校の一部に寺院がある、或いは、寺院の中に学校があると考えるのが自然と感じる。 何故かというと、学校の入り口には王族の人と思われる写真がかなりの確立で飾ってあるからだ。 そんなことを考えながら、一周して写真を取り終わってさて出発しましょうと言うときに、ふと、子供たちがずらずらずらっと自分に近づいてきた。
そ、その円ら(つぶら)な瞳、それに一瞬、”くらくらくら”っと来た。
一部の環境系NGO・NPOが”この純粋な子供たちの為に”と、ひたすらに宣教活動(ほとんど宗教の域に達している団体もある)を繰り返すその”純粋な子供”の意味が、ほんの少し、数分の1ほど理解できた。
もう、先日あった駅前の2重価格商人たちのことなんて全て吹っ飛んでしまうほど、この子供たちの純粋さは心に響くものがあった。
衝撃を受けた。 こんなことが、まさかあろうとは。 いや、もしかしたら、これを求めて私は旅をしているのかもしれない。 そして、そのことを忘れていただけだったのかもしれない。
タイに来て、どこか”余所者”としてのよそよそしい目線を受ける中に旅をしてきて、この純粋な子供たちの円ら(つぶら)な瞳を見て、全て、”救われた”と感じずにはいられなかった。