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嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)

そして、いよいよ嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)にたどり着いた。

ここは入り口の門。

帝廟(テイビョウ)とは天子のみたまや、つまりお墓のことだから、トゥドック(Tu Doc, 嗣徳)のお墓、ということになる。

自転車は、目の前の売店の横に停めさせてもらった。

お店のおばさんは”お金はいらないよ”と最初言っていたが、お金を払った上で預かってもらいたかったので、”いくらですか?”と何度も聞いたら値段を言ってくれた。 その値段でOKだったので、自転車を置いて中に入ることに。

説明書き。

世界大百科事典(平凡社)によるとトゥドゥック(Tu Doc)(嗣徳)について以下のようにある。

トゥドゥック(Tu Doc)(嗣徳) 1830-83

 ベトナムのグエン(阮)朝第4代皇帝。在位1848‐83年。姓名はグエン・フオック・ティー Nguyen Phuoc Thi(阮福蒔)。諡号は翼宗英皇帝。ティエウチ(紹治)帝の第2子で1848年即位した。
 しかしその前年,フランス軍はトゥーラン(現,ダナン)を砲撃し,58年にはフランス・スペイン軍がトゥーランを占領,59年にはサイゴンが落とされ,62年のサイゴン条約では南部3省が奪われ,66年には全南部が失われた。さらに,73年のガルニエ事件,82年のリビエール事件と,その治世の大部分はフランスとの交戦と屈服に終始した。
 一方,国内では1854年以降20年にわたって水匪がソンコイ川(紅河)デルタ一帯を荒らしまわり,また1849年以降,山地は中国人匪賊に占領されたままだった。そのほか少数民族の反乱も激しく,ベトナム全土は荒廃をきわめた。
 こうした内憂外患にもかかわらず,トゥドゥック帝の時代は,《大南会典事例》《大南一統志》等の政府編纂物をはじめ,カオ・バ・クアット(高伯当),グエン・ディン・ティエウ(阮廷鷺)ら多くの詩人,文人を輩出したベトナム・漢文化の最盛期であった。  桜井 由躬雄

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

ここは、ティンキエム島(Tinh Khiem Island)。

かつて皇帝が小動物の狩猟場にしていたところのようだ。

池の周囲を、道が続いている。


遠くには、ボート乗り場が見える。
(観光客が乗るための場所ではない。)

遠くに見えるのはスンキエム殿。

かつて皇帝たちが愛妾たちとその円柱の間に鎮座し、詩を作って朗唱していたという。

水中に杭を打ちつけて作られたこの殿は、1986年に再建されたもののようだ。

これは、キエムクン門。


宮殿の入り口だ。

中には、展示物が飾られていた。


右手後方にあったミンキエムの間(Minh Khiem Chamber)はもともと劇場として使うために作られたようだったが、そこはベトナム衣装の写真サービスコーナーと化していた・・。

そして、外に出て、周囲の散策へ。

道を散歩する。

やがて、本殿が見えてきた。


この奥にあった大きな大きな石は20トンもあって、500km北のタインホア地域から運ぶのに4年の歳月を要したらしい。

ここに嗣徳帝が埋葬されている・・・ と思いきや、ここには埋葬されていないようだ。 その埋葬場所は誰も知らないらしい。

というのも、沢山の財宝と共に埋葬をした関係上、盗掘を恐れて、その場所を誰にも知られないようにする為に召し使い200人の首を切るという(行き過ぎた)方法が取られたからだそうだ。

そして、奥まで散策した後、嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)を後にした。

 

 

 

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