釧路から東京へ帰宅 - 8月25日
さあ、今日は帰る日だ。夕べ、夜遅くにライダーの方が1人加わって3人の宿泊となった。 外は雨が軽く降っており、屋根の下で寝てほんとによかったとほっとする。 今日も少し寒そうだ。 3人で記念写真を撮った後、それぞれは出発をする。

私はヒッチハイカーがどのように車を止めるかを見たくて、車が止まるまで付き合うことにする。 でかいリュックを背負って、スケッチブックに目的地を書く。 かなり経っただろうか、5分か10分くらいしたらトラックの運ちゃんが止まってくれた。 思わず拍手。 なかなか素晴らしい。 夕べの彼の話だと、同じヒッチハイカーでも彼みたいにテントまで全て持ってきている人と、シュラフすら持たないで来る人もいるらしい。 彼はそういう人に襟裳岬で会ったらしいが、その人の話だと、乗せてもらった人の家に泊めてもらうらしい。 彼いわく、さすがにそこまではあつかましくてちょっと・・・ と言っていた。さすがに、そこまでしてもらうのは悪いでしょう、と言っていた。 ううむ、いろいろな旅の仕方があるものだ。 でも、最低シュラフさえあればバス停で眠れるのに・・・ とは思うし、彼もそれに納得していた。 そうそう、彼の話の中で面白い話が。 途中、乗せてもらった人の奥さんが北方領土の出身らしく、延々と語られたらしい。 私の変わりに取り返してくれよ、とか。 ううむ。そういう人もいるのかとちょっと思ったりもした。 彼には、私がずっと使っていた北海道の0円マップというのを渡した。 最初は家から持ってきていたもので、途中なくしてしまって、1回目に霧多布へ行った時、岩盤の上に上る手前のところで拾い、それから10数日使っていたものだが、喜んでくれたようだ。 ちょうどよかったので、残りの調味料などもあげることにした。って、あげたのは夕べのことだが。
さて、そんなこんなで私は出発をする。 彼も無事、根室に向けて出発できたことだし。 そして、私の方はというとあっさりと釧路に到着。 楽なものだ。 わずか10数キロか。 とりあえず時間を潰そうとするが、どこもお店がやっておらず、駅ビルの喫茶店で少し時間を潰した後、和商市場手前のローソンで立ち読みしてしばらく時間をつぶした。9時になったら、今度はNTTに移動してインタネを始め、10時過ぎた頃にそこを出て、コンビニに寄ってからフェリー乗り場に向かった。
あらかじめ下見をしておいたため、新富士駅の向こうにあるセイコーマートに寄ってから行くルートを取った。 なかなかいい感じ。
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| 乗り込んだフェリー |
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釧路の港を離れたところ。
この景色がもう見られないなんて、何だか悲しい... |
フェリーの方はと言うと、大洗から苫小牧へと乗ったフェリーよりちょっとだけ旧型かな? という気はしたが、問題ないくらいの大きさ・設備だった。 始め感じられた船体の揺れも、2日目になる頃には収まっていた。 1日目にはかなりゆっくりとではあるが横揺れ・縦揺れがあり、このまま私は酔っ払うのか? とも思ったが、2日目はほんと快適で、とても気持ちの良い船の旅が出来た。
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| 北海道を離れた日の夜の夕焼け |
この航路は9月でなくなってしまうとのことで、船のおねえさんに聞いてみたら、10月までは運行をするみたいなことを言っていた。 この船はその後どうなるのかとも聞いてみたが、多分海外へ売却されるのだとは思うけれども、まだ決まってはいない、というようなことを言っていた。なるほど。
船体は、24時間以上の時間をかけ、東京港に到着をした。 さて。帰ってきたんだ・・・。 船の甲板の上では、羽田空港からの発着便がよく見えた。 みんな、生き生きとした顔をして甲板にいるのが見える。 船は港に着き、そしてはバイク乗りたちがバイクの元へと向かう。チャリダーも向かう。 船は東京の有明に止まり、ビッグサイト近くを抜けてゆく。 そこで、すぐそこにカップル連れのチャリダー2人組がいて、途中まで一緒に走る。 その後、その2人はお台場の方に少し寄ってから帰るとのことで、私はそこで分かれる。 私は、最初よくわからなくて、レインボーブリッジを渡ろうとしたが、どうも自転車は渡れないらしい。 歩いてなら渡れるようだが、時間外に既になってしまったらしい。 既に7時を過ぎていた。
そして、回り道をして、東京駅の方を経由し、新宿経由で20号線を家まで走った。 ずっと帰ってきて、東京の環境の悪さに胸が痛んだ。 水ははっきり言って、飲めないくらいだ。 でも、再度、ここで生活を始めなくてはならない。 私は、自分自身の生活を変える、これから変えなくてはいけないということをここで自覚した。 家に帰り、旅を終え、それでも私は、やっぱり、今、スタート地点に戻ってきたのだということを実感した。
終わり。
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