☆ アイヌより
以下、内容が古いです! 4〜5年近く更新していません。
が、私は”歴史”を重視しているので、自分自身の歴史(成長過程)として残している訳です。
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| シャクシャインの像 |
☆ 1. アイヌとの出会い
遠くで会った、アイヌの人々。
私は、遠く、アイヌの文化を思い浮かべる。
アイヌの人々は、その生活すら自然と同化しているようだった。 だが、今はいろいろな問題を内包しているようだ。
昔、本州ではほとんど知られていないが、北海道では数々の差別が平然と行われているようだった。 私は、つい最近までその事実を知らなかった。
文明開化の名の元、古き良きものは、平然と切り捨てられていった・・・・。 アイヌの文化は、無残にも踏みにじられた。
・・・・・・・・・・・。
だが、それはもしかしたら、遠い昔、和人に起こったことかもしれない。
外国から異文化が流入し、和人は和人たる何かを忘れてしまった。
そして、もしかしたらアイヌの人々にもそれが起こりつつあるのかもしれないという前提に立つと、とあるものが見えてくる。
そのとあるものとは何なのか。そして、それを解決する手立ては何なのか。
それが見えてきたとき、日本の文化が変わり始めるのかもしれない。
私はアイヌのことを知り、だが、それは「アイヌがどうこう・・・」ではなく、
何であれ、全ては自らの糧としてアイヌの姿を私は見る。
アイヌの人はアイヌの問題があるようだ。
私には、私の問題がある。 私は、私の問題を生きる。
(99/09/26 , 2001/06/11 , 2001/06/13 いつか行おうと思っていて、ついに手直し。)
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| アイヌの聖地、二風谷の近くにて |
☆ 2. アイヌと、私
アイヌは、日本の中でも精神性がとても高い部族だと思う。
私は義務教育を終えてきたが、アイヌのことをきちんと学んだことは一度もなかったように思う。(実際には、多少はあったようだが、すっかり記憶から抜けていた。)
何故、これほどまでにアイヌのことが取り上げられないのか?
全く、精神性とは関係のない部分で、戦争とか、反乱とかの歴史を教えられてきた、私の子供時代があった。
こう言った、実質とは全く関係のない歴史を教えないで、アイヌの教えをもっと教えてくれていたら、私の今の生活はもっと違ったものになっていたのかもしれない。
たしかに、学校という場において、アイヌの教えは少し場違いなのかもしれない。
それは、多少の宗教的表現を含み、いわゆる「道徳」とはかけ離れている。
自然と共に生き、すべてのものに神を知り、生きて行く、その姿。
道徳とはあくまでも「こうすべきだ」であり、本質的な回答を見出さない。
「盲信」という意味での宗教は愚かなことだが、「宗教性」は大切なものであり、それが欠けているからこそ、子供たちが安易な道に走り出してしまうのだ。
私とて、親の「強制的」とも言える「しつけ」がなかったらどうなっていたかわからない。
私は判断力を失い、姿形だけ、「まじめ」を装っていった。
でも、その内面は、とてもうつろであった。
アイヌの人たちは、そこから抜け出せるような知恵を、持っているような気が私にはした。
私は、アイヌのことをどうこうではなく、自分自身のためにそれを知りたかった。
ただ、実際には、悪循環にハマっているアイヌの方々が大勢いるらしい。
私は和人として生まれてきた故、アイヌのことはわからない。
だが、他ページにて表現しているように、私は私なりの生き方を求めたく、
私自身の糧として、私はアイヌのことを学びたかった。
(99/09/29 , 2001/06/11 いつか行おうと思っていて、ついに手直し。)
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3. アイヌを見て思う、かつての日本
日本もかつては、あのような姿であったのかもしれない。
そう、かつて、小泉八雲があこがれたように。
だが、その姿はどこへ行ってしまったのだろうか。
単一のものが存在する世界では精神性を保つのは容易。 日本の本土(本州以南)は、元々単一の民族の世界であったからこそ、遥か昔は精神性が保たれていたのだろう。
だが、そこに違ったものが混じって来た時にこそ、本質は試される。
私は、そのように思う。
今は、単一の部族のことを語っただけでは不十分。
同じ民族だろうが、誰一人として同じ人はいない。 違ってて当たり前。
今は、本当に大切なものが教えられていない。 だからこそ、世の中に混乱が生まれる。
(99/09/29 , 2001/06/11 いつか行おうと思っていて、ついに手直し。)
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4. アイヌ音楽「二風谷の歌と踊り」
今日は、東京音楽大学民族音楽研究所の公開講座に行ってきました。
後援は「伊福部 昭」さん。
実は私、この人のことを全然知らなくて、会場に行く前、学校で少し調べ物をして行きました。
すると、以下のようなことが判明。
伊福部 昭の小屋
http://www.kushiro.or.jp/shumi/ifukube.html
幼い頃からアイヌと親しんでいたようです。
彼は、アイヌの楽曲でいきなり賞を取った。そのことを認めないインテリたち。そんな時代。
そんなインテリたちの状況の中で活動を続け、ついに認められる時代が来る。 その姿は、真実を示していた。
さて、「アイヌ古式舞踊」が開始しました。
今回は女性のみの公演らしく、みんながみんな、アイヌの服(サムスピのナコルルのような衣装)を着ていて、なかなか素敵です。
力強い踊り。強く跳ね上がり、力強く手を打つ。
動きの一つ一つが痺れるように目の中に入ってくる。
これは、是非とも本物を、現地でも見たいと感じた。
今度、絶対行ってみよう。そう感じさせる瞬間でした。
さて、そんなこんなで楽しいひとときが過ぎ、休憩時間。
会場では、そこで売っていたアイヌの民話の本を買ってきました。
イソップ物語とかよりよっぽど趣がある作品のように感じました。
お子さんがいる人は、これを聞かせるとかなりいいんじゃないかな、とか個人的にちょっと思ったりなんかしてます。
私はその間少し民話を読み、そんなこんなであっという間に次のステージが始まりました。
さて、次のステージでは萱野茂さんのお話が始まった。
まず始めは「アイヌ」という言葉のことから。
アイヌという言葉は、元は、立派な行いをした者がアイヌと呼ばれ、特に素晴らしい行いをした者は アイヌ ネノアン アイヌ と、アイヌという言葉を重ねて表現され、特に尊敬されたものだった。
だが、本土からの侵略が続くと、次第にアイヌという言葉が差別用語して用いられるようになり、アイヌの人たちはアイヌと呼ばれることを嫌がったりもした。
だが、そういう、アイヌと呼ばれることを嫌うようになってしまったアイヌの人たちに、アイヌという言葉は本当は素晴らしい言葉なんだよ、ということを教え、そしてまた、みんなにもそのことをわかってほしい、ということを始めに述べていた。
そして、一時はアイヌを離れていた萱野さんが、これではいけないと、村から流出するアイヌの伝統的な工具や祭具などを買い戻し、それをもとに博物館のもとを作った、というような話もしてくれた。
又、本土から来た人たちがアイヌの主食である鮭の狩猟を勝手に制限したということ。
「世界中どこを見てみても、原住民族の主食が制限されたという話は聞いたことがない・・・」
と、嘆いていた。
本土から来た人は年に鮭を数万匹取るのに、アイヌの人は書類で申請をした上、たったの5匹しか取ることを許されなかったという。 それも、一人5匹ではなく、地域で5匹。
如何にないがしろにされていたかが、よくわかる歴史のような気がした。
そして、当時、鹿は今と比べ物にならないほどたくさん取れていたが、それすらも制限された。
そして、後で知ったことだが、苫小牧の工場で年に6万5千匹もの鹿がかんずめにされ、皮もはぎとられて海外などへ売りさばかれたという。
アイヌに取ることを禁じておきながら、自分たちは勝手放題に取りまくる。
これでは、ヨーロッパ人のアメリカ侵略と変わらないではないか・・・。そう思った。
しかも疑問なのは、このことが全く義務教育で取り上げられていないということ。
遠い外国の出来事はしっかりと教科書に載っているくせに、身近な、それもそう古くはない歴史なのに教科書に載っていないなんて、明らかにおかしい。
他のアイヌサイトを巡っていたら、日本国政府は、少し前まで、日本に先住民族はいないと発表していたという。 ただ、今はアイヌ文化復興の為の法律も出来たし、日本国政府もアイヌ民族のことを認めているようだ。 それに、今は高校の教科書にも載っているらしい。小学校・中学校にもそろそろ配布され始めると聞いた。
ただ、そのアイヌ文化復興の法律は、アイヌの文化の保護の法律であって、アイヌそのものを保護する法律ではない、という指摘もなされているようだ。
このあたりでも、「アイヌ人は日本の先住民族である」という事実を、もっとしっかり教育するべきだと強く感じた。
二風谷ダム問題のことについては特に言及していなかったように覚えているが、このことも又、和人のアイヌ侵略の一部のように思える。
侵略というのは言いすぎかもしれないが、要は「無理解」ということのようだ。
全く、役にもたたないダムを作り、役にも立たない水をためてアイヌの聖地である沙流川を殺している。
これは、今でも続いているアイヌ侵略の一部であるように感じた。
でも、そんな中でアイヌの言葉を復活させようと頑張っている姿を見せてくれた。
萱野さんがアイヌ語教室を始めようとしたきっかけは、早口言葉にあるとのことだった。
萱野さんが早口言葉をとある子供に教え、覚えた子供が口伝えで他の子供に伝えて行く。
当時40人だったクラスのほとんどがその早口言葉を覚えたという。
そのことを見、アイヌ語学校をやってみようかということを思い立ったのだそうだ。
言葉には足がある。そう、萱野さんはおっしゃってた。
そんなこんなで短い時間は過ぎ、質問タイムを迎えた。
とある女性の、「沖縄の市役所の後ろに、ここはあくまでも村の役所だ、という意味合いの言葉が書かれていて、そういう宣言は何かなされているのでしょうか?」
という質問があった。
それに大して萱野さんの回答はというと、
二風谷の博物館の表に、3つ言葉が書いてあって、1つは・・・、もう1つは・・・、そしてもう1つが・・・という意味合いで書かれており、それが独立の意味を示しています。(
内容は忘れてしまいました。すいません。)
だから、既に独立の宣言は出しています、との回答だった。
独立の宣言。その気持ち。
そんなこんなで、幕は閉じた。
短いようで、長い公演だった。
最後に、「みなさんはいい人だと思います。ただ、数世代前の日本の人が悪い行いをしました。それを伝えたいのです。」(という感じだったかな。)という言葉が妙に印象的だった。
本当に今の人たちは悪くないのか、そう思わざるを得ない、今日この頃だった。
追伸:
アイヌの歴史は、上記文章を書いたときはまさに初耳の出来事で、とにかくびっくりしたものでした。ですが、時が経ち、ふと思い返せば、少しだけ学校で教わった気もします。
私は現代人であり、侵略には直接は関わっていない。だが、同じような問題が、日本の本州、私の身近にも、確かに存在している。
アイヌのことを通じ、アイヌへの侵略、そして、その根底にある何かを探したい。 それを見つけたいのです。
最近のアイヌの人々はほとんど和人と同様の暮らしをしていると聞きます。
アイヌの人々の精神性の高い文化は、和人からしてみれば不調和に見えたようだ。 昔、数々の、和人による「文化のおしつけ」がなされ、アイヌの人々は不当に差別されてきた。
私は今現代の人間だから、ぱっと見ただけではアイヌの文化がなくなって悲しいとか単純に始めは思ったが、実はその裏には、和人による長い間の差別、とてつもない差別、それがされていたようだった。
それ故に、今現代の人間である私から見ると文化がなくなってしまったようにも見えるが、実はその裏には、アイヌがアイヌとして生きるだけの土台が、和人によって奪い取られたという背景があるようだった。
このあたりの経緯は、私は今現代の人間だからそれほどはよくわからず、見聞きした内容だけになってしまう。
これ以上のことは、イサマンさんのページの方で詳しく表現しているのを見て欲しい。
アイヌが、アイヌ自身が表現する土台、その環境を作ること。
それをするには、私がこうやってぐたぐた述べるのは、述べても述べただけ無駄のようだ。
私が、和人である私がアイヌに代わって喋るのではなく、アイヌ自身が喋れる環境、
それ自体を作ることこそが今の急務のようだと、最近になって初めて理解した。
私は、基本的に私自身の世界を生きている。 私自身の問題を生きている。
だから、ここでも、「アイヌを見た時における、私自身の問題」を表現したいが、
だが、アイヌの問題とは、私が考えている以上に複雑で、私がここで更に話を伸ばし、
私自身の問題にも言及したならば、それだけで誤解を生じさせることになるようだ。
だから、あまり言葉数を増やさずして、これで終わりたいと思う。
私は、私自身の問題を生きる。
アイヌの方々を尊重したい。
アイヌのことに関しては、アイヌの方々、彼ら彼女ら自身が喋るのを待つべきのようだ・・・。
(99/10/04 , 99/10/22 追伸を追加。,2000/12/21 少し記述を追加。 , 2001/06/11 , 2001/06/13
いつか行おうと思っていて、ついに手直し。)
☆ その後の、私自身の姿に関する補足
私の、旅に対する気持ちはどんどんと変わった。
原点・気づき、大切なものは一緒・・・・。 単なる感動だけではない旅。 物事を知る旅。 あこがれではない旅・・・。 それは、アイヌのことに関しても同じだった。
私にとって、「感動」は大したものではなくなってきた。
(2001/06/10)
※ レラ・チセ
話は変わりますが、アイヌに関する活動で、アイヌ料理専門店、レラ・チセというものがあります。
先日、そこに行く機会がありましたので、すこしそこの紹介を載せておきます。
→ レラ・チセについて
(2001/06/10)
※ ちょっと一言
1年くらい前から、いつか書き直そう、いつか書き直そうと思っていてそのままになってしまっていました。
でも、今回、イサマンさんのところのオフ会に参加したことをキッカケに、ちょいと書き直しを計りました。
昔書いた文章は、とにかく「アイヌという民族がいたんだ!!!」という感激そのものをズバリそのまま表現した文章で、今の感覚とは一致しなくなっていました。
その後 アイヌのこと(差別問題など)を知るにつれ、このままの書き方ではちょっといけないな、という気持ちが深まり、今回の書き直しに至った訳です。
アイヌは特別な存在ではなく、隣にいる友人。 同じ国の人々。 違う種族。 でも、近くの友人。
(2001/06/11 , 2001/06/13 少し追記)
補足:
当時の感覚としては、多少なりとも、”迎合”している感覚が否めません。 これは、私自身の当時の問題でした。(H15.4.6)
補足として、百科事典に記述されている”アイヌ”の定義等をここに載せます。(H15.8.15)
アイヌ 東アジアの少数民族で、現代ではおもに日本の北海道に居住している。アイヌとはアイヌ語で「人」を意味する。19世紀まで日本の歴史上では蝦夷とよばれ、アイヌという名称が定着する以前には、アイノといわれたこともある。また、アイヌ語で同胞を意味するウタリという名称をつかうこともある。
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アイヌをどう定義するか,とりわけ現代のアイヌをどう認識し,どう定義するか,という問題は,彼らを取り巻く歴史的環境とその中での彼らの自己認識のあり方や,〈民族〉の定義の問題とも深く関わっているだけに,その定義のしかたは,時代とともに大きく揺れ動いてきた。1960年代ころまでのアイヌの現状に対する研究者を含めた大方の認識の特徴は,彼らを和人とは異なる固有の文化を有した一つの民族とはみないで,彼らは,いずれ和人に同化される,との認識を前提にして,〈アイヌ系住民〉〈アイヌ系日本人〉と称したところにある。こうしたこともあって,アイヌ民族の学者である知里真志保でさえ,〈今やその固有の文化を失って,物心ともに一般の日本人と少しも変わるところがない生活を営むまでにいたっている。したがって,民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく,厳密にいうならば,彼らは,もはやアイヌではなく,せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである〉(平凡社《世界大百科事典》旧版,1955年刊) と記さざるをえなかった。しかし,後述のように,1984年北海道ウタリ協会が〈アイヌ民族に関する法律(案)〉(通称〈アイヌ新法〉)を採択し,政府に〈アイヌ新法〉の制定を求める運動を展開して以来,アイヌ民族の歴史や文化,さらにはアイヌ民族の現状に対する国民の関心がしだいに高まり,こうした状況を大きな背景としてアイヌ民族の歴史や現状に対する認識も大きく変化してきた。したがってここでは〈アイヌ〉を,主として北海道に居住する日本の先住少数民族,と定義しておく。
世界大百科事典(平凡社) より |
もちろんこれだけでは語り尽くせないし、様々な歴史や昔話があるのでここに載せてあるのはほんのさわりのみです。
このページに対するフィードバック統計結果
2003年3月にてフィードバックの応募は締め切りました。沢山のフィードバック、真に有難う御座いました。
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