伊賀上野の芭蕉翁記念館〜忍者屋敷
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走り出しは、なかなかに快調だった。
おおお。 神田から家まで走ったあの感覚は何だ!? と思えるほど快調で、自分でもびっくり。
他のページで読んだ、「最初は硬い感じがするけれども、荷物をたくさん積むとちょうどよくなる」という感覚は、こういうことなのかもしれない。
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伊賀上野は忍者の町で、あの有名な松尾芭蕉も忍者だったという話もあるようで、ここで、ちょこっと記念館とかお城の天守閣とかを見ていくことにした。
ここは、芭蕉庵の記念館で、昔の松尾芭蕉の旅のゆくえなどが飾られていた。
もう少し後に来ると歌舞伎とかがやっている日と丁度重なって、それを見るのも悪くないと思った。 今度はこれに合わせて来るのもいいな。
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芭蕉庵の周囲に広がっている庭園。
こういう、日本庭園はとても落ち着く・・・。
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芭蕉庵から抜けて、天守閣を見に行こうかと思ったが、途中で、忍者屋敷もあるようなのでそちらも寄っていく事にした。
私は天守閣を見に来ただけだったのだが、こうして、何故か、芭蕉庵記念館とか忍者屋敷とかを見てしまう私はちょっとハマってるな。
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忍者屋敷にて。
ここでは、かわいい忍者さんが忍者屋敷の案内をしてくれていた。
身なりもすっきりとしており、その動きも軽やか(笑)なので、きっと、彼女も忍者の末裔に違いない!(多分)
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いろいろなところに仕掛けがある。
ここには、床下に隠された剣を、素早い足さばきで取り出してくれているところ。
(動画が取れなかったのが残念だ。)
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忍者屋敷の奥。
どこにも仕掛けがいっぱい。
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そして、天守閣へと向かう。
伊賀の里は、なかなかに奥深い。
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一般データ: まつお‐ばしょう【松尾芭蕉】
江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月庵・風羅坊など。伊賀上野に生れ、藤堂良精の子良忠(俳号、蝉吟)の近習となり、俳諧に志した。一時京都にあり北村季吟にも師事、のち江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉庵に移り、談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残し、難波の旅舎に没。句は「俳諧七部集」などに結集、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」「嵯峨日記」などがある。(1644〜1694)
(広辞苑より)
作品:『笈の小文』 『幻住庵記』 『更科紀行』 『嵯峨日記』 『鹿島紀行』 『野ざらし紀行』 『奥の細道』
一般データ: 隠密 おんみつ
主家などの密旨をおびて探索に従事する者をいう。忍者,間者。はやくも南北朝時代に姿をあらわすが,その活躍の盛んになるのは戦国時代からである。甲賀者,伊賀者が有名である。江戸時代に入ると,幕府,諸藩は隠密を用いて諸方面にわたる情報収集につとめたが,彼らはいずれも軽い身分の者であった。幕府には目付の指揮下に徒(かち)目付,小人(こびと)目付があって表裏の活動をし,また将軍以下老中,若年寄,側衆,大目付,目付などの命をうけて探索に従事した者に御庭番があった。このほかにも,江戸の町奉行配下には隠密廻りと称する同心があって,市中の動静を探索した。 北原
章男 (平凡社 世界大百科事典 第2版 より)
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