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柳生の里〜奈良へ
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渓谷を抜けて行く。
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このような、豊かな茂みの間。
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ふと、横に抜け道があったので、少し歩いて行き、小川の水を飲んでみる。
全く問題なく飲める。
やはり、こういう水こそが本物だ。
自動販売機の水は「飲めば飲むほど喉が渇く水」であり、本物の水の味を味わってしまったが最後、そのような偽者の味には耐えられなくなる。 最近は特に、そう思う。
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奈良に抜ける途中、柳生の里というところがあったので寄ってみる。
ここは、柳生の里を守っている神社。
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続いて、柳生家の武家屋敷へと向かう。
ここは、とても良い日本庭園のある、武家屋敷だった!
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このような、松の茂みがとてもよい。
やはり、武家屋敷には日本庭園が似合うものと思う。
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庭先にて。
庭師が、向こうで手入れをしていた。
(でも、農薬たくさん撒いているところを見てしまい、複雑な気分。)
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武家屋敷を見ていると、昔の人々の高貴な気高さが伝わってくるようだ。
昔の武士は、それはそれは高潔な気高さを持っていたに違いない。
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一般データ: (広辞苑より)
しんかげ‐りゅう【新陰流】
剣術の一派。
1.戦国時代、上泉秀綱が創始。新影流。
2.織豊時代、上泉秀綱に学んだ柳生宗厳の流派。新陰柳生流。柳生新陰流。柳生流。
やぎゅう‐むねよし【柳生宗厳】
戦国時代の土豪。柳生新陰流剣術の祖。石舟斎と号。大和国柳生荘に住。上泉秀綱に新陰流を学ぶ。松永久秀らに属し、のち徳川氏に仕えた。(1527〜1606)
やぎゅう‐むねのり【柳生宗矩】
江戸初期の剣客。新陰流の達人。宗厳の子。但馬守。関ヶ原の戦に徳川家康に従い、大和国柳生荘で2千石を知行、のち1万2千5百石に加増。著「兵法家伝書」。(1571〜1646)
やぎゅう‐じゅうべえ【柳生十兵衛】
江戸初期の剣客。宗矩の子。名は三厳(ミツヨシ)。新陰流を修め、徳川家光の寵を受けた。のち大和国正木坂で弟子1万3千人に教え、柳生流と称。(1607〜1650)
やぎゅう‐れんやさい【柳生連也斎】
江戸前期の剣客。新陰流の達人。名は厳包(トシカネ)。浦連也とも号す。尾張柳生家の祖利厳(トシトシ)(宗厳の孫)の3男。尾張藩兵法師範。(1625〜1694)
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柳生の里を抜け、そして、再度走り始める。
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ずっと続く道を。
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