時は8世紀。天然痘が流行(737年)し国内も乱れていた。 聖武天皇は国を憂い、743年(天平15)に詔(みことのり)を出した。 そして、華厳経(けごんきょう)のいう理想の世界を実現するため、盧舎那(るしゃな)大仏の造立(ぞうりゅう)が計画されたようだ。 工事は翌年から開始された。
大仏は8度にわけて鋳造された。その為に、大量の土砂が周囲に盛り上げられた。 そして 749年(天平勝宝元)像高5丈3尺5寸(約16m)の金銅の巨像として完成した。 続いて、大仏殿・回廊を制作し、752年に開眼(かいげん)供養会がおこなわれた。
そして、ここ東大寺は最高の格付けと寺封5000戸・墾田4000町をもつ巨大な国立寺院として古代社会に君臨することとなった。 ここは六宗兼学の修行場でもあり、境内には尊勝院(華厳宗)、東南院(三論・真言宗)、知足院(法相(ほっそう)宗)、戒壇院(律宗)などの研究道場が存在していた。
尚、華厳経とは以下のようなものである。(広辞苑より)