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一部の環境保護運動家のいるところ
<プロフィール2004年版>

(注意:現在と視点が変わっている点がありますが、記録の為に残してあります。)
■注意: 個人的な内容となっております。興味のある方だけお読み下さい。■ 

行動そのものに対する論理

一部の環境保護運動家

  保護論理
    ・理論より、実践・行動の論理:   行動しないでどうする。
        言うだけの人は多いが、行動する人は少ないぞ。

企業

  企業論理
    ・経済論理:   儲かるからやる
        欲しがる人がいるからやる
        求めに対する、何かの提供。その報酬のやり取り。


行動を行った後に対する論理

一部の環境保護運動家

  保護論理
    ・行動論理が強く働く。:   〜してしまったのだからしょうがない。
        行動しないでどうする。とにかく行動だ。行動しないとわからないことがたくさんある。

企業

  企業論理
    ・企業のポリシーに沿うかどうか:   人々の利益? 環境保護? などなど
    ・利益の良し悪しによる判断:   儲かったか。損が出たか。


それぞれの、動いている者たちの立場

一部の環境保護運動家

  任意の、自主性に任せられている。嫌ならばいつでも辞めることが出来る。
それ故に、「意見を言うのならば、おまえやれ」の風潮が出来上がった。人によっては、それを言う目つきがとても嫌らしい。

企業

  雇われている立場。基本的には、上司の命令には従う義務がある。
ただし、中小企業においては本当に自分がやりたいことを行っている場合も多い。
そういう意味では、一部の中小企業はNGO等とさほど変わらないとも言える。特に環境系を前面に押し出している場合。


他人の意見に対する対応

一部の環境保護運動家

 

無視・排他が目立つ。「行動している者が一番素晴らしい」の論理が常に働く。
「意見だけ言う」は受け入れられない。「だったら、自分が動け」の論理が働く。
「批判」というものは、基本的に排除される。聞き入れられない。
「言う側の立場/知名度」にも大きく左右される。

雑感:
この事を誤魔化す為に「他人をリスペクトすること」等という標語が生まれ、それはつまりは「批判を言うな」という暗意を含んでいると強く感ずる。 批判とは中傷とは全く違うものであるのに。

  補足:

環境問題などではよくある「問題だと思うならば、自分が行動すればよい」という言葉。 これは、とてつもなく暴力的な発言です。 この言葉には2つの面があって、自発的な面から見るとスピリットが感じられますが、他人の意見を排除する時にも、同じ言葉を環境団体の人は用います。つまり、何か言ってくる人があれば、「じゃ、問題だと思うならおまえがやればいい」と言う風に。 こうして、他人の意見は「殺され」ていきます。こちらは、悪い面です。本当の「受け入れ」ではありません。

2002/10/22 23:57

企業

  企業論理
    利益に沿った形で意見を受け入れる。その意見によって、その結果、その消費者が企業に利益をもたらしてくれるか? 等。
「言う側の立場/知名度」は確かに関係してくるが、NGOほどの重みは無い。

 

 

つまり、一部の環境保護家はスパイラルに陥っている。


1.環境保護が大事だと思う。
     |
     ▼
2.行動が大事だ
     |
     ▼
3.行動している人が一番
     |
     ▼
4.他人の批判は、「いろいろ言うより、よくわからなくても行動している人の方が偉い」と跳ね返す。
  彼らにとってみれば、批判=中傷に近いのだ。
     |
     ▼
5.次の行動に移る(1へ戻る)

と。


つまり、一部の環境保護家には、内観したり、他人の意見を受け入れる、というスタンスが少ない。

 


ここで、大事なことがある。上でも同じ事を言っているが、

「他人の批判を跳ね返している限り、自分自身の悪しき面には、一切目を向けなくても済む」という点だ。

これは、大きい。 とてつもなく大きい。 この点があるが故に、「行動家」は、とても「生き生き」としている。


だが、それは、自分自身の悪しき面に目を向けた途端に崩れ去る、もろいものだ。


これを私は、「環境保護家は、善と悪を超越するのではなく、悪を封印することによって、自らを行動の淵へと立たせる」と表現する。 又、同じ事を指し、「環境保護家は、善と悪を超越するのではなく、悪を封印する為の勇者となる」とも表現する。


勇者なのだから、何をやっても良くなる。 それはつまり、「自分自身が起こしたのではない『何か』に対する『反応』として、自分自身の意思ではなく、仕方がなくその立場に立っているからだ」と言う論理により、それは成り立つ。


このスパイラルにはまった瞬間、「他人に対して批判すること」はタブーとなる。
批判は常に「おまえ行動しろ」の反論とセットになっている。
批判が抑えられたら、意見を出すところはどこかと言うと、「プロジェクトの会議で」となる。そこで行われるものは「議論」である。

そのような「批判がタブー」となれば、何かの意見交換は全て「それは、議論なら目的があるのでは?」という意見に繋がり、「じゃ、目的が無いのならばその話はやめよう」という事になる。こうして、批判はタブーとなる。 批判的な言葉に対してはシャイとなり、言葉の発せられている場所から離れて行く事になる。 こうして、排他処理は加速される。

私は、環境保護家の排他主義がとても気にかかる。環境保護家の、最も悪いところであると考える。

例えば企業などであると、「構造的に」企業の構造改革を図ったりすることもある。 例えば、情報をデータベース化して共有化を図り、いわゆる「生き字引」を構造的に排除する事を行ったりすることにより、企業の健全化を図ったりもできるかもしれない。 NGOにはそのような自己健全化機能は、ほとんどない。 働いていない。 やるとしても、「じゃ、おまえやれ」になる。 それでは、上に言ったようなスパイラルに陥るだけである。「構造的改革」を行うのは、よほどそのNGOに対して愛を持っており、そこの既存の利益搾取者を徹底的に掃除するくらいの気持ちが無いと不可能である。  私は、いわゆる「生き字引」を多く見、その醜悪な姿を見て、「これが、勇者に成り上がろうとした者の姿か」と思った。 生き字引など、周囲に迷惑をかけるだけの生き物だ。 そのようなものは、なくなった方がいい。 大抵、「強力なリーダー」が「生き字引」となり、醜悪な姿をさらけ出している。 これは、情報の共有化によって排除できるものであり、ネットワーク化によって、いわゆる「トップがいない」、ネットワーク的なコミュニティが実現可能なものなんだ。 だが、既に権限を握ったトップは、その地位を離したがらない。 自分自身の権力集中を離したくないが故に、ネットワーク化を嫌っているようにも、どこか感じるものがなくはない。

NGOとは、いろいろなものがあると思う。 私はここでは、ちょっと変な、一部生き生きしたりも見えるが、その実は・・・のようなものも、ちょっと垣間見た。

かつて、NGOにおいて「実績がなければ発言権がない」という感覚を強く感じた。 それを推し進めて行くと、今回のような認識に達した。


NGOの行動原理は、洗脳原理でも、多々ある。 例えば、反対意見などを「何言っているのかわかりませんねえ」などと言って意見を殺してしまう事などがその例に挙げられる。


今後、更なる認識が生まれたら、更にレポートして行きたい。

H14.10.16
H14.10.22 一部追加

補足:

誤解を受けると何だが、個人的には、NGO/NPOはとても応援している。 ”こういう姿もある”という、いわば番外編レポートである。(が、割とこういうのが主流だったりもするかも。真実は読者の方で確かめて下さい。)

 

注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)

 

 

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