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宗教・思想・私的観点による生活環境
<プロフィール2004年版>

(注意:現在と視点が変わっている点がありますが、記録の為に残してあります。)
■注意: 個人的な内容となっております。興味のある方だけお読み下さい。■ 
出来事略歴  ('04現在)
 
誕生   昭和51(1976)年 9月14日 (静岡県田方郡土肥町)
1歳〜6歳  

幼稚園にて半年間の登園拒否を体験。

6歳〜15歳    
16歳〜18歳   精神病を煩う。
18歳〜23歳   アダルトチルドレンとして生活。
23歳〜27歳   社会に出て、技術を学ぶ(技術系SE)
   
私的精神生活略歴  ('04現在)
 
     
1歳〜6歳  

■誕生〜保育園・幼稚園■

■生まれてから数年は田子の実家に暮らすが、母親と父方の祖父母との関係がうまくいかず仁科に引越。 同地区の保育園・幼稚園に通う。
■同幼稚園にて半年間の登園拒否を体験。 始めは本当に体が動かなかったのだが、空いている時間に本や新聞を読んだりテレビを見ることにより様々なことを知るようになり、幼稚園の生活よりこちらの勉強の方が楽しくなる。そのうち、幼稚園生活の愚かしさも悟るようになる。
  大分回復してきた頃、 母親が幼稚園の先生に家まで迎えに来て下さいとお願いをし、見せ掛け上は”幼稚園の先生が迎えに来てくれた”ということにして幼稚園に復帰することとなる。 母親は、私が部屋にいない時に電話をかけたつもりであったようだが、私は電話を聞いていたので、全てお見通しの上で”迎え”に乗った。
  だが、家まで迎えに来た同級生の態度を見て、これは全て見せかけだけの関係であると悟る。 同級生の中には”迎えに来なかったらずっと来られなかっただろう”と言ってきた人もいたので、内実を知っているのは母親と私と幼稚園の先生だけであったようだ。
 幼稚園に復帰すると、虐めが再開した。 何も成長していない同級生を見て、私は苦笑した。 私はこの時、半年前の私とは異なっていた為、冷静に対処することができた。
 毎日馬鹿な日々を繰り返す同級生に対し、わざわざ愚かな虐めっ子の相手をするのも馬鹿らしいと悟り、虐めっ子を”ばかだなあ”と思いつつ笑顔で笑いかけていたのだが、次第に虐めっ子は私をホモだと思うようになる。 この頃から同級生を無視することが多くなり、口数も減り、誤解も多くなる。
 物事の考え方や「必要以上に他人になびかない」という人生観はこの登園拒否時代にある程度作られが、幼稚園に復園してすぐに成長は止まり、18歳まで成長は止まったままとなる。
 当時は、同幼稚園の生活を愚かな生活環境だと思っていたが、新たな生活へと抜け出せなかったということは、その環境が自分の限界でもあったように思う。
 その為、必要以上に友人を作ることもせず、一人で行動することも多かった。 最後の最後まで友人を信じはしなかったが、ある程度の礼儀を持って接していたつもりだった。
 だが、”朱に交われば赤くなる”の格言の通り、自分自身を律しなければその分、生活態度が落ち込んでいった。

     
6歳〜15歳  

■小学校・中学校■

■お利巧だが愚かな生活を営む。
■元々勝負は嫌いであった筈なのに、負けることに対して必要以上にヒステリーになる性格もこの時代に作られた。 典型的な共産主義思考がこの時代に埋め込まれ、性格と交じり合った。この共産主義思考から完全に自由になったのは26歳前後であるから、深く根を降ろしていたと言える。この時代に行った数々の”日本を貶める発言”は本当に愚かであったと思うし、次世代の人々にあのような最低の教育を受けさせるべきではないと今は思う。
■本来ありもしない自我ではあるのだが、当時持っていた自我を崩されて落ち込んでいた小学校3年の頃、授業の休憩時間に悲しみの奥底から神秘体験をし、意識が体を抜け出し、超自我或いはハイヤーセルフと呼ばれる高次元の自己と対峙することとなる。 優秀で働き者の守護霊たち、見守ってくれている羽のある友人達。 今まで知らなかった多くのことを知った。 このような体験はそうそうあることではないが、高校〜大学、就職そしてその後の世界を垣間見、断片的ながらも様々な知識をそこで学んだ。 人生の生き方、考え方など、多くの”学び”をした。時間で言うと数週間にも渡った筈だったが、体に戻ったときに時間の経過は全く無かった。
 このような体験は、信じられない人には信じられないことなのでこれ以上の言及を避ける。 通常空間では考えられないほどの気づき、知識の流入、本質的な”自己”の変化が、この時起こった。例えて言うならば、映画の「スターゲイト」のような体験だった。映画より遥かに長く、多面的な体験であった。
■小学校4年か5年の頃、担任の先生が”インナーゲーム・クラブ”とか言うものにはまり、その内容をホームルーム等で披露をし始める。(昔書いた記事「インナーゲームの呪縛」) 私は当時、その先生に対し”言葉は正しいが、貴方は違う”と言って食ってかかった。 又、同時期、友人が”マイヤー”とか”セムヤーゼ”のようなものにはまっており、そのようなものに囲まれながら、意味不明な生活を多分に送った。
 この流れは更に続き、しばらく後に上京して数年目、確証は最後まで取れずじまいであったがインナーゲーム・クラブの主催者に近いと思われる人物と会い、”似非覚者”と判断することにもなった。又、上京してからの同時期にマイヤー、セムヤーゼの日本事務所のようなところにも少し尋ねたりもした。
 どちらにせよ、小学校時代から上京して数年目まで一貫して、私には本質的な判断力が抜けていた。 状況によってはオウムにも騙されていたかもしれないほどであったと今は思う。 特に、”似非覚者”との対談時は危なかった。

     
16歳〜18歳  

■高校時代■

■精神病を煩う。
■ニューエイジ的な精神生活を学び始める。

     
18歳〜23歳  

■大学時代■

〜概略〜
■アダルトチルドレンとして生活。 精神世界の片鱗を断片的に学んだ時期。 ニューエイジや禅思想を元に、無意識のうちに共産主義思想も学んでいた時期。
■旅によって最も感化された時期。 旅によって自由を知り、自らと向き合う意味を学んだ。 ”自らの為にある”旅であり、見聞きしたものは全て自らの姿であった時期。 ”くつろぐこと”の意味を真剣に考えた時期。

■大学1年〜2年頃 (H8〜H9)■

■高校時代の呪縛から解かれ、ようやく自分の足で歩き始めた時期。 まだまだ、よちよち歩きだった。 世の中に不満を常に持ち、勝負は嫌いな筈なのに勝負して勝たなくては自尊心が傷つけられ苦しむという2重生活を送っていた。 勝負をしなければ自尊心が苦しみ、勝負をすれば心が痛む日々を送っていた。
■当時、ニューエイジ系書物に興味を持った。プレアデス、OSHOなど。古典的な仏教や禅にも興味を持つ。 この時代の執筆物は2003年以前のプロフィールに格納されています。代表作は「あの風のむこうに
■ この時期に目指したのは「自我の死」である。 「人は、一度死んだ後に真に生きる」という言葉を真実のものと認識。 自我の死の為、日々考え続けた。
■ この時期は、2重人格症状や精神分裂症状に近いものがあったが、病院に行くという考えも無く、悩む日々を続けていた。

■ 大学3年〜4年頃 (H10〜H11)■

■いわゆる「自分探し」に決着が付く。アダルトチルドレンの解消。 この頃まではニューエイジ風の非古典的な信条に従っていた。 この時代の執筆物は2003年以前のプロフィールに格納されています。 代表作は「見出してきたもの(これだけ読んでも分かり辛いとは思います。) で、大学生活の一端を綴ったのが「田舎との情報格差」である。(これまた他人には分かり辛い。)
■この時代のことを思うと、台湾の陳水扁(ちんすいへん)元総督が言った「社会に失望することは若者の特権だ。」という言葉が思い起こされる。

     
23歳〜27歳  

■社会人時代■

〜概略〜
■歴史や思想を学んだ後、共産主義思想から転向。 コミューン的な思想は根強いが、私的財産を放棄する共産主義思想には反対の立場を示す。
■”落ち着き”よりも技術や知識、自らの役割を考え始めた時期。 旅の頻度が下がり、旅の目的も知識や歴史的なものに変化してきた時期。
■自由と規律とは切り離せないものであると認識し始め、”自由”一色の日本に違和感・危機感を感じ始めた時期。
第48回全国学生青年合宿教室(H15.8)に参加。日本の国の重きを知る。

■H12〜H14頃■

■市民活動家(NGO, NPO)の論理を学ぶ。 彼彼女らの思想の源泉を辿るうちに、左翼の本質をも知ることとなる。 (詳しくは右メニューの「市民活動」ページにて。)
■又、意識の変革の時期でもあった。 この時代以前は、自分では永遠の歩みを続けているつもりであったが実は「これでよい」という地点を求める為の「歩み」をしており、それは往々にして思考停止がパターン化されていたことに強く気付かされた時期。 そのような自らの思考停止に対し「まだ先がある筈だ」という疑問を持ち、環境を変えてみようと様々に体当たりをしてみた時期。 「今居る環境からの離脱、そして、新たな環境への飛び込み」を繰り返した時期。 「これでよい」という地点に留まる時間が短くなった時期。 歩みとは、永遠に続く道であると悟った時期。 「これでよいという地点は無い」という意味を悟り始めた時期。
 そのような時期であったから、スピリチュアル的思想も合わせ使って市民活動を理解しようとした。 だが、結論としては、「スピリチュアルな市民団体もあるが、実社会との係わり合いに関しては空想的平和主義の域を脱しておらず、意味不明な主張を出している団体も多い。」ということであった。 往々にして、左翼の宣伝術に煽られ、本来のスピリチュアルとは脱線した主張を出している団体も多いように思えた。ナントカ村など。
■市民活動に関わるとすぐに次のような理解に達した。
  「素晴らしい人もいるが、こんなことをしていても世の中の役には立たない。 ろくでもない人もそれなりに多い。」
一部の市民団体は、自己満足と自己中心主義者、社会に不満を持つ暇人によるアダルトチルドレンの逃げ場となっていた。
  だが、それでも尚、いくつか見た市民団体に可能性が見え隠れしていた為に、そのわずかな可能性を見出したいと思い、積極的に市民活動に関わり、度々、相手の歩調に合わせたりもした。 活動の為というよりかは、後にやってくる「本当に行いたいこと」に対する準備として、学びのために市民活動に参加した。
 この時期は、理不尽な業界の中における、学びの一手であったと言える。
■市民活動に関わるごと、様々な思想(持続可能な社会、持続可能な開発、自給自足、コミューン思想、左翼思想(マルクス主義))などなどを、多くの人を通じ学ぶこととなった時期。
■良かれ悪しかれ、市民活動のいろはを学んだ時期。

■H14〜H15頃■

■国際社会理解に関心を示すようになる。 日本の素晴らしさを ”国語”、”言葉” を通じて改めて知ることとなる。 国際派日本人養成講座というメールマガジンに出会い、本になって出版されている5冊を購入してむさぼるように読む。 その頃、日本の歴史を一から学び直す心づもりを決めた。 更に縁があり 第48回全国学生青年合宿教室(平成15年) に参加。 国の重さを肌身で感じることとなる。
■思考の様式を、女性的で情緒的なものだけでなく男性的で論理的なものも身に付けようと、自らを変革させて行った時期。 空想的平和主義から、現実的平和主義に思考を切り替えていった時期。知らず知らずのうちに身に付いていた左翼思想を把握し、体から切り離していった時期。
■「公」というものを、「公から始まる私(わたくし)」という観点から再考を始めた時期。今までは禅的視点により「石の重さは、石が私であるのならば石の重さを感じられる筈も無い。よって、内(自分)も外(他人)もない。」という視点を持ち続けていたので、「公から始まる私(わたくし)」は改めて新鮮で、本来の日本人が持つ美しい「公」の概念を感じ始めた時期。 内も外もない故に無秩序になるのではなく、内と外が本来は一つであることを知るという「公」の概念を持ちながら「個」の自由、尊厳、規律などの概念が入り混じられている日本の国の有り様に対し、改めて畏敬の念を感じ始めた時期。
■日本という国に対し自信を持ち、「日本が強くなることがアジアへの貢献」という自負を持ち始めた時期。 具体的には、以下の公演内容にとても共感できるようになった時期。

■H16頃■

■伝統芸能、特に歌舞伎を好むようになる。
■生活環境の変化。
■理論に一区切りをつけ、体得へのサイクルを踏み出した時期
■多くのものを見、新たな活動の糧にし始めた時期。

 

 

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■宗教・思想・生活環境
■市民活動
以上は2004年版です。
 
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