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旅をすることとは、 全てを諦める ということでもある。
今は、そうも感じる。
幻想を捨て、現実を直視すること。
今、ここ、○○川のほとりにて、この渓流のほとりにて魅せられていた筈のここの人々、その人々の心は、きらびやかなものをも愛する、いわば、アメリカさんの思想の下にも生きていたのだ。
たばこを吸い、排気ガスと油のにおいまみれになった、大排気量のバイク、ハーレーダビッドソンの趣味の悪いネオンの装飾を見て「わあ・・・」と叫ぶ人々。
ここ、○○川の土地にて、この渓流のほとりに住んでいようと、結局はこのような人々が生まれてしまっている。
私の幻想は、再度、ここで発見された。 これは、私の幻想だったのだ。 ここの人々が、渓流のほとりで心静かに暮らしているという考えは、私の幻想に過ぎなかったのだ。 結局は、アメリカのような どはで な文化を好みもする人種だったのだ。
旅とは、全てを諦めること。 今は、そうも感じる。
諦めて初めて、誰かに頼ることなく、自らの足で歩き始める。
誰の姿をも頼らない、自らの姿を。
ここ、○○の土地では、都心から数時間ということもあり、いわゆる「田舎」と「都会」の中継地点として位置しているように思う。 見かけは渓流で、心も静かな気もするが、その実はというと、派手なものをも好む人たち。
もちろん、全ての人がそうだと言っている訳ではない。 そのような、現象面の話をしているのではない。
又、きらびやかなものを好むのがいけないと言っている訳ではない。 そのような、現象面の話をしているのではない。
私が上に書いたように、元々私は、「渓流のほとりに住んでいる人は、心静かであってほしい」という幻想を抱いていた。 だが、それが崩れ去った、ということだ。 この土地の人を指差して、どうこう言いたいのではない。それだけはわかってほしい。 何故ならば、それこそが「内観的に生きる」ということであり、ただ物珍しさの為に旅をしているわけではないからだ。
旅をする意味、それが再度発見された。 旅をする意味とは、 幻想を捨て、現実を直視し、全ての幻想的希望を諦めることにもある・・・・。
旅とは、 全てを諦めること。
平成14年10月13日 11時21分 記
補足:
人が何のために旅をするのかは、人によっていろいろあると思います。 かつては、自らの再発見の為、そして、夢を追い求める為に旅をしていました。 今も、基本的にはそれは変わりません。
ただ、今となって一つ変わってきたのが、現実がどうであれ、それは全て素晴らしいんだぞ! ということ。 そのことが、今回、また一つ幻想を諦めることによって更にわかってきたことです。 幻想ではなく、現実を直視し、それでもそれは素晴らしいんだぞ! と、そのことを知るための、その真実の素晴らしさを知ることを妨げている幻想を諦めることこそが、全てを素晴らしいと感じる認識へと繋がっていると感じる次第です。
平成14年10月14日 13時9分 記
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
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