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「一歩踏み出せ。そこは天国」
それは、「何らやる意味も考えず、だが、とてつもない存在感のみを感じ、一歩踏み出すこと。」
例えば、衝動に駆られての行動であればその天国は感じられない。
例えば、感動に駆られての行動であるならばその天国は感じられない。
例えば、開放感に駆られての行動であるならば、その天国は感じられない。
その、「何か、ある」という感覚は、天国を見失わせる。
天国とは、何もなくなって初めて見出すもの。
「極限」から見出すのではない。 それは、常にあるもの。
緊張から来る物は「極限」を生む。それはつまり、いわゆるスポ根ものの旧世代の生き方。
ここはだめだと思って、でも、それでも踏み出す。
それは、例えば「勇気」と他人は呼ぶ。 だが、それ(天国)は勇気ではない。
それは、例えば「気力」と人は呼ぶ。 だが、それは人による。
それは、例えば「努力」と人は呼ぶ。 だが、それは人による。
真実を知ることは、例えば、とても単純なことのようにも思える。
いつも、人は「反応」を求めた。つまり「見返り」を。
そしては、「感激」を求めた。
その「求め」のみが必要なのであって、その「反応」は、本当は必要ないのだ、ということ。
いわゆる、天国、愛、そのようなものは、とても単純なもので、
真実を知るには、ただ、一歩踏み出せばいいだけ、ということ。
それは例えば「行動」とも呼ばれ、大切なことのようにも論じられるが、
だが、それは、本来、とても「軽い」もの。
羽毛のように軽く、「ただ」、行動する、というだけのもの。
一歩踏み出せ、そこは天国。
かつて、そう言った人がいた。 それは確か、宮元武蔵だったかもしれない。
晩年、剣の道を極めた後、まだ自らに足りないものがあると感じ、求めた。
一歩踏み出し、そこは天国。
平成14年4月10日 1時12分 記
平成15年1月3日 少し表現を見直し
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
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