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前から気にかけていた事があった。
いや、気にかけていたと言う訳ではない。気にかかってしまった事だ。
心に残るその一筋、貴方の姿は何故、流れるのだろう。
流れ行く貴方と私。何が違うのだろうか。
自然の中、貴方と私は譲りあう。お互いの姿を見る事もなく、全ては溶けて行く。
自然とは偉大なものだ。素晴らしい。
全て‥‥、そう、全てが自然だ。
あっちの木も、こっちの木も、全てが私を迎え入れてくれる。
貴方はどこにいるのだろう。貴方を見つける事など、私に出来る筈もなかった。
私は思う。私は何故、自然と接するが如く人と接する事が出来ないのだろうか、と。
自然の木々の中、私は笑う。私の笑顔は自然へ届き、自然の歌声は私に届く。
それはまるで楽しいダンスの様に‥‥。
だが私はある事に気付く。つまり、自然は見えないが、私は見える。私はここにいる。
何故、私はここにいるのだろう‥‥‥。
ここで私の中、何かに響くものがあった。
対人関係、あの子との会話。何故、あの時彼女は「疲れた。」と言ったのだろうか。
私にはその言葉を忘れられずにいた。
その理由が、言葉には出来ない何かが私の中に芽生えようとしていた。
自然と人間との違い。それは何なのだろうか‥‥。
私は自然を考える。何故、私は自然に対し、これほどの愛を感じるのだろうか。
私は自然と話す時、自然に愛を感じている。
自然もきっと、私の愛を感じていてくれている。その実感がある。
その違い。何が違うのか、それが見えたような気がする。
つまり、愛とは障壁の無い事‥‥、その事なのかもしれない‥‥‥。
彼女が「疲れた。」と言った時、私は彼女との間に壁を設けていた。
あの時に限って「疲れた。」と言った、その理由はそれだったのか‥‥。
対人関係において愛が感じられない理由、それは障壁があるからだ。
障壁が無いとき、愛が流れる。愛とは流れ行く何か、それの様な気がした。
空気の様に流れる、その、淀みの無さ、そこに感じられる清々しさ‥‥。
そこにある流れこそ愛なのだと、その様に思いました。
本日高尾山に登り、自然の中、そこで何かを学んだ様な、そんな1日でした‥‥。
平成9年3月28日 午後9時5分、記
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
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