
白馬付近の紅葉の風景 |
旅とは、「精神」を構築するようなものでなくてはならないと、今更ながらに思う。
ここ数年、リカンベントや軽い折り畳み自転車を用い、「軽くなる為」の旅を行った。
確かに、それは一定の効果を上げた。 それはまさに、「教育」という名の元において構築してきてしまった、私の 非日本人的
な部分を「軽く」してくれたからだ。
私は、癒されなければならなかった。 かつて、私は、癒しを求めていた。
だが、今、「癒し」を求める時期を過ぎて初めて、 今までとは違った形で、かつてない「誇り」の意味をも感じつつ、 自分とは何なのか? 日本人とは何なのか? 日本人という種族・民族がどこから来て、これからどこへ行こうとしているのか? ということを、何度も、何度も考えるようになり、今まさに、更に問い詰めねばならない時期に来ていると、強く思い始めた。
それは、一言で言えば「精神」を構築するという作業だ。
かつて、戦前の日本においては それ が必ずと言っていいほど行われ、だが、戦後の占領政策によって用意周到に骨抜きにされてきた。
愛国心と、そして、文明の基礎となっている神話、そういったものに、更に目を向けたいと思う。
そして、その「愛国心」と「誇り」が、太平洋戦争の最後の数年にあったようなおかしな姿にならないよう、以下の誓いを立てたい。 (日本がおかしかったのは、太平洋戦争の最後の数年だけだ。)
心の中はとてつもなくピースで、
だがそれでも、「武器は必要だ」と言える人間になりたい。
これは、「自尊心」が解決して、そして、「旅が日常的なもの」となって、 自然に対する敬意・畏敬の念が確固たるものとなり、民族意識を知り、それを構築している神話というものを知り、歴史というものを知り、そういったもの全てか重なり合っているという「重層構造」を理解してこそ理解できる、「精神」の構築後における状態であると思う。
平成15年1月8日 21時34分 記
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