|
注: 前に作成していた "永遠の今" のページに対する記述です。

基本的には、「見せること」を考えて作られてはいない。 メジャー路線には絶対なり得ないだろう。 それと、「学術的」になりすぎることも好まない。
その為、ある意味偏っているし、見易くもないだろう。
例えば、他人のことを考えたとして、そのことによって真実が失われるのならば私はイヤだ。
例えば、見せることを考えたとして、そのことによって表現が制限されるのならば私はイヤだ。
例えば、学術的になることによって、私の「キモチ」というものが、その表現が制限されるのならば私はイヤだ。
たとえ、それがその一時の感情であったとしても、そのキモチは真実に感じたものだ。 それを、偏ってるからだとか、真実を示してないだとか言う勝手な理由で表現を制限しようとする、そのような「制限」(私自身の制限、そして、他人からの制限を含む)、それから開放された世の中を私は好む。
今の世界のいわゆるゴシップ記事は、全ては「正論」というものがある故に生まれる。 そして、私は、前々からスタンスとして、「正論こそがこの世界を壊し、『気付き』を消し、『これでいいんだ』の世界を作る」と思ってきている。それ故に、私は根本的な解決を目指す。 つまり、「正論」というものの打破だ。 瞬間、瞬間、その「一瞬」に生きている人にとっては「正論」とはある意味どうでもいいものであって、単に「その時はそれが良かったかもしれない」と言った種類のものだ。 今の世界は、その「正論」が永遠のものだと勘違いをした世の中の人が他人を指摘し、「正論とはどこそこが違うぞ」と言って、例えば笑ったり、例えば馬鹿にしたりしているのがこの世界のあり方だ。 そして、私はそんな世界のあり方に疑問符を投げかけたい。
簡単なのだ。 「正論」に対して「違い」を見出すのは、非常に簡単なのだ。 そして、それは「一時の笑い」を、そしては「真実からの逃避」を作り出す。
だから、あえて「正論」を述べないつくりにしている。時にデータを元にして作られていたりはするが、それはあくまでも「下地」であって、私が本当にやりたいこととは違ったりする。
私のスタンスは、自由に変えることができる。出来ない、やりづらいこともあるが、こだわらない自分を目指している。 一度こだわって、その後「忘れる」ことこそが、自分自身の人生を充実したものにするのだと、常々思う。
平成14年5月30日 記
ホームページにこだわっている
その理由は、「拝む対象」になり得ないからです。 そこには「対象」がなく、「論理」だけが生き続けます。 どんなに真理な事柄を語っても、例えばテレビや、ラジオや、本や、講演などでは、そこに必ず「対象」という概念が入り込みます。 インターネットもある種同様の面があるのですが、新しいものである為、既存の感覚とは外れたところでそれを行えます。 つまり、新しい概念というものを導入し易いのです。
ここでは、「対象」を外し、「論理」を元とした「真理の追究」を行っています。 ただ、何が真理かというと、哲学的な「普遍的真理」ではなく、「如何に人が幸せになり、幸福になり、毎日を生き生きと生きられるか」と言った事柄を「真理」と表現しています。 簡単に言ってしまえば「想念観察(心の声や感情、その他全ての内面世界の鑑賞)」こそが究極の奥義であり、そのまわりに付随する様々な現象、例えば環境破壊や肉体の問題などは、全て内面から湧き出たもので、対処療法をしていても意味がない、という理解になります。
毎日の当たり前のこと、例えば掃除をしたりとか、使ったら汚れる、その当たり前の真理を「当たり前」として受け入れられる為には何が必要なのか、そして、その「当たり前のことを邪魔しているものは何なのか」を表現していっています。
ホームページにこだわるのは、その大きな原因である、「対象を見てしまう」という罠を、「新しいもの」特有の利点により、ある程度解消しよう、という意図があります。 それと、私はテレビやマスコミは嫌いで、どれも頭が痛くなるので好きではないのでインターネット世界の充実を求めている、という面も多分にあるのですが。
平成14年5月30日 記
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
|