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「そこにある石は貴方の内にあるか、それとも外にあるか?」
この問は昔からよく使われる問答。
とある老人が、問いたという。
「その石は、貴方の内にあるか、外にあるか?」
それを問われた若い僧は、悩み、悩み、最終的には、「私の内にある」と答えたという。だが、その返答に対し、「それはさぞかし重たかろうな。」と、その人は答えたそうだ。
そして、その若い僧はその答えにショックを受け、本当の答えを探し始めた・・・。そのような話であったようだ。
その答えは単純・・・ しかし、到達の道のりは遠い。 私の場合、早々にして”答え”だけを知ったが、その”認識”までの道のりは遠かった。
"重み"、そしては"一体感"という感覚すらも"幻想であった"ということを実感した時に、上の問いに対する、”いわゆる答え”が見つかる。
つまり”内も外もない”という真理である。
そもそも、内も外も無いのに、答え様がない。 上の老人は、この事を教えようとしていたのだ。
H10.8.12
H15.6.16 少し手直し
NOTE:
手直しする前は、以下のような記述でした。 当時の認識の甘さが伺えます。(が、分かりやすい事は確かだ。)
その答えは単純・・・しかし深い。
内にあると感じるのは大切な事。しかし、その "重み" は消え去らねばならない。
つまりは一体感ということ・・・。
内にあることを感じる(自らと同化を感じる)事は大切な事であり、
その重要性は決して変わらない。
"内にあるという事がわからない。"
そして同時に "外であるという事がわからない。" これが最終的な一体感である。
これは "感じていない" という事ではない。
"内なる感じ" が極限まで軽くなった時にそれは理解されるだろう。
こうして現代と過去を見比べた時に見えるもの。それこそが”歴史”である。 最も尊きものである。 ”成長”の素晴らしさである。
H15.6.16
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
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