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素直さとは、誰がしかに対する素直さではなく、物事に対する素直さの方に
視点を合わせるべきだ。
誰がしかに対する素直さとは、それが時には単なる依存関係となりうる。
誰かがどうのこうのではなく、ありのままに物事を見つめる、その目、
その状態・・・、それが自然と「素直さ」というものへと変わってゆく。
「誰かが何を言っていようがほおっておきなさい。」 そう、自分に言い聞かせる。
誰かの言葉によって、感銘や衝動を発起されても、それに乗ってはいけない。
なぜならば、それは単なる「反応」であり、自分のものではないからだ。
感銘や衝動など、強い「金縛り状態」とも言える、「どうしようもない感じ」を体験することは、自らが体験しに行くものであって、体験させてもらうものではない。
「どうしようもない・・・。」と言う体験をし、受け身になることは重要なことではあるが、その状態における「受け身」とは「体の中を通しつつ、流す」と言う事を示す「受け身」であり、それを知る前の「受け身」とは、単なる依存関係となる危険性が大いにある。
感銘だとか衝動だとかいう「反応」とは、それ自体も素晴らしいものであるが、それが消え去り、なにもなくなった先にも又、素晴らしい世界が存在している。
相手に動かされそうになったとき、ゆっくりと自分の中を見てみること。
それが重要なこと。
なぜならば、「反応をしている」ということは、自らの内に、「ひっかかり」があるということ。 それは、貴方の「気づき」を待っている!
「反応」は素晴らしいものであり、更にその奥には素晴らしいものが待っている。 反応の先に行くことを恐れてはいけない。 反応がなくとも「あなた」はいる。 その「反応」は克服/昇華されるべきもの。
反応を好んで(恐れて)いる? 反応以外に自らの落ち着く場所がない? 反応が止まれば傷から膿が出てくる?
反応とは何がしかが隠れてしまっている部分であり、
その反応そのものが何かを示していて、同時に、何かを隠している。
音楽やダンス、芸術活動など・・・、それらはすべて、「反応」を通じて自らを明らかにしてゆく作業の表れであり、「反応」を通じて物事を明らかにしている。
そして・・・、それがやがては止まる時が来る。
す・べ・て が止まる。 明らかな何かが発見される。
発見されるというよりは、はじめからあったものだ!
反応がなくとも、「つながり」は最初から存在していた。そのことを知る。
今までの反応が必要なくなり、新たな反応の世界へと突入・進入する。
以心伝心、無言の言などの言葉に代表される、言葉を超えた何かのつながりを知り、
そしてやがては 「空」(くう) を知ることとなる・・・。
それを目指して、行く。
平成10年10月13日 記
平成11年1月4日 手直し
平成15年3月10日 手直し
平成15年7月30日 手直し
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