|
意識が無いこと。それが要点となる。
その人は何も動かず(行わず)、だがそれでも行っている。行動がそこにはある。
行動はあるが、それは自らの奥深く、その本質からのレスポンスが
体に宿っているだけのこと。(体が知らぬ間に動いているということ。)
これはまた、"人は反応しているだけ" の意味でもあり、本質でもある。
全ては繋がっていて、それでいて主体となるものが "ここ" に存在している。
"ここ" から奥を見れば果てしなく続いている。すべては "ここ" が始まり。
周囲の現象は確かに自らの姿ではあるが、"直接" 、 "ここ" を見れば良い。
別に周囲の姿を見る必要は無い・・・。全ては "ここ" に存在する。
周囲の姿とは "たしかめ" だ。最後に見て、確認すればそれでいい。
全てはレスポンス・レスポンス・レスポンス・・・。
自らの奥深くからのレスポンス・・・。
平成10年7月25日 記
補足:
「意識が無い」のではなく、意識はあるのだが、それを「見ている」状態、その時にこそ、「行わずして行う」の実践となる。
体の動きを妨げず、意識の動きを妨げず、意識は動き、体は動いてはいるが、それを妨げないこと。 そして、それにいつも気づいており、即時、その気づきの反映が意識・体にフィードバックされること。 これこそが、「行わずして行う」の意味であり、それはとても”楽しい”ものだ・・・。
平成15年4月5日
注意! 多々、記述が古い個所があります。
思想・概念・状況等、今とはかなり違っている個所があります。
人や文化とは「歴史」こそが重要と考える為、残してあります。
ご理解の上、参照下さい。 (2003/1/2 記)
|