旅において、’無’というものを学ぶ。
それは、’入り口’だった。
私心(わたくしごころ)をなくし、
人に尽くし、
そしては’誇り’を学びぬ。
人は皆、’重要’だった。
かけがえのない、人々だった。
過去の歴史からではなく、
自らの歴史からしか”誇り”を学べないのだとしたら、
その人は不幸である。
物質大国であるかに見えるアメリカさえも、
実績しか見ていないかに見えるアメリカさえも、
薄っぺらかのように見えるアメリカさえも、
自らの国の”歴史”に”誇り”を持っている。
それは、”アメリカ独立”という”歴史”だ。
”歴史”を語ることをタブーとされた現代教育においては、
その”誇り”の”源泉” を塞がれたも同然だった。
日本には、尊き歴史がある。
深い、”泉”がある。
”違い”を超えた”やまとごころ”を知り、
そしては、”誇り”を身に付けぬ。
以上、北海道から帰って来る時に挙がってきた言葉たち。
平成15年5月14日 記
人と言うものは、繋がっているんだよ。
自然も、全て。
それが最も重要なことだ。
そう、とても、”かんたん”なことだ。
”行動”に良し悪しがあるわけじゃない。
ただ、”繋がっているかどうか”というところだけが問われるんだ。
”繋がっている”のならば、何をやっても、それは良いものなんだ。
その点だけが、問われるんだよ。
人/周囲の環境との繋がりを感じられたならば、
ただそれだけで精一杯やればいい。
周囲のため。 皆のため。 それだけでいいんだ。
そして、”誇り”を感じるようになる。 それが幸せってもんだ。
”誇り”とは、そういうもんだ。
えらぶることが”誇り”じゃないんだよ。
胸を張っても、いいんだよ。
以上、北海道に行く前に挙がってきた言葉たち。
平成15年5月11日 記