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いわゆる”賢い子”ではなかった。
物事の本質を見ることもできず、ただ”デジタル”の中へとはまり込んでいた。 ここで言う”デジタル”とは”決まった法則に従って物事は展開されるものとして社会を見ること”である。
時代的にも少なからずそのようなものがあり、人格形成に寄与した。
実社会はもっと流動的なものである筈なのに、法則に当てはまらないものは”例外”として理解を示さなかった。 それが、私を”賢さ”から遠ざけていた一つの要因であったと言えるだろう。
小学校の頃の写真
この頃は、ただ「良い子」だった。 私は物事がほとんど見えていなかった。
そして、見ることすら許されないと当時は思っていた。
見るための環境も何もなかったと、当時は思っていた。
今思えば、「『今』という、この喜びの瞬間を見ないでいつ喜びに達しようとしていたのだろうか。」と思い起こす。
いつ来るとも知れない、「未来」というものに全てを託し、「今」という、最大の喜びの瞬間を見ないでいた。 そんな小学校時代。
クラスメイトにも悪いことをした。 もっと「今」を謳歌できたはずなのに。 時はもう戻ってこないのであるから、詫びても詫びきれないのである。
中学の頃のマラソン
後ろに見えるのが中学校の校舎
この校舎で、いくつの愚なることをしてきたのだろうか。
「今」を楽しむことを教えてくれようとした人はいたが、当時の私はその本質に気づけなかった。
中学の頃の遠足にて
私は、なよなよした子だった。
中学の頃の遠足にて。中伊豆の山中。
大きな木の下で。
遠足は、今思えば不自然な仕方をしていた。
「魔法瓶」という入れ物により、とても冷たい飲み物を持っていったあの頃。
その、「冷たさ」は自然のものではなかった。
本当の自然を感じるためには、汚れることはもちろん、食生活にも「覚悟」が必要なものだ。
水はぬるくてもおいしい。 そのことを、当時の私は全く知らなかった・・・・。そんな中学時代。
英語と数学の塾にて。
今思えば、ここでももっと楽しめたはずだ。
「勉強」というものを、いつ来るとも知れない「未来」に結び付けていた。
修学旅行にて
清水寺などにも行った。
三十三間堂だったか。
どこかのお寺にて。
修学旅行も、私は「いい子」だった。
そして、全くと言っていいほど「今」を楽しんでいなかった。
ただ、当時のままで「今」を楽しもうとしたら、その発散の先が破壊的なものへと結び付いてしまっていた可能性がある。
だからこそ、当時私が「今」を楽しめなかったことを悔やみはするものの、破壊的なものへと発散してしまわなかったことを良かったことと思う。
創造的な発散、それを知りたいと思いつつも、当時の私はそれを求める術を知らなかった。
これは、後に私が仏教や禅の悟りに興味を示す要因となる。
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高校の頃の、とある演劇舞台にて。
クラスで演劇を行った。 |
私は、操られていた。 まるで人形劇のごとく。
私は、全く「意識」をもたなかった。 ただの人形だった。 そう、まるでこの演劇の如く。
当時、私は卑屈になっていたこともあり、以下のようなスパイラルに嵌っていた。
1.”競争原理”に従うことにより、周囲から嫌がられる。当時は女にもてる方だったので、男からは特に仲間外れにされる。
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2.日常イベント(クリスマス等)には”必ず”誘われない。特に、男女間のイベントには”確実に”誘われない。
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3.早く卒業したいと思っていた。独り言のように”東京行ったら自由にするし、早く卒業したい。今、楽しむつもりもない。”と言っていた。 その言葉を聞いたとあるクラスメイトが、”ほとんどの人は高校で終わりだから、楽しみたいんだよ”と驚いたように言ったが、”先に仲間外れにしたのはおまえ達だろう。何を今更。虫が良すぎる奴らだ。”と心の中で思い、無視していた。
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1に戻る。
そして、高校を卒業し、ようやく「条件付け」から開放されようとしていた。
高校卒業にて
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