アレキサンドリア、そして帰国

2007-01-05 記載
トピックエジプト

寝台列車はルクソールからカイロのギザ駅にたどり着いた。

チケットはギザ駅までであったが、どうやらラムセス中央駅(起点の駅)まで電車は行くという。 スタッフに、そこまで行ったら追加料金は必要かどうか聞いたら、「そこは貴方の席だから、それは必要ない」と言ってくれた。なるほど。

そして、ラムセス中央駅で降り立ち、私はアレキサンドリアへと日帰りの観光に向かうことにする。

列車の切符を往復買い、アレキサンドリアへ。

アレキサンドリアまでは2時間と少しの旅程だ。

うとうとし、眠ってしまっていたら、いつの間にか到着していた。

と思ったら、どうやら1つ前の駅で降りてしまったらしい。我ながらおっちょこちょいで慌て者だ。

仕方がないので、歩いて少し散策することに。

トラブルとは思わず、エジプトのちょっと違う面も見れるかなと思い直す。

計画としては、街中の雰囲気を少し見て、その後タクシーに乗り込んで駅へと向かってもらうことにする。

予定通り少し散策し、あまり見所もないのでタクシーに乗ろうと思った。ところが、ここでなんと、タクシーの人が英語が分からなかった。

これは一回だけかと思ったら、今後何度も英語が分からないタクシーの運転手に遭遇する。 しかも、愛想が悪い。どこか希望を失っていて、目はうつろで、どうでもよいと言った感じだ。

しかも、駅へと行ってもらった筈なのに、海岸沿いの公園のようなところに到着するありさま。 言葉が通じず、運転手もどうでもいいといった表情なので、もういいやと思い、そこで降りることに。


場所を確認すると、どうやら、一応は、駅の近くのようだ。
ここは、駅から海に向かって進んだところらしい。

アレキサンドリアは美しい町だと聞いていたが、確かに、海岸線から見る町の眺めはとても綺麗だ。

冬だから何なのか、ちょっと風が強い。


夏はとてもよい雰囲気なのだろうなあ、と思う。

世界の7不思議であったファロスの灯台は、ここにあったのかと思いを馳せる。


紀元前3世紀のプトレマイオスⅡ世の時代に建てられた高さ120mの灯台が。

少し移動し、無名戦士の墓を見てから再度タクシーへ。

遠くに見える砦まで行ってもらう。

砦はかなり昔に作られたものであり、今は学校およびモスクとして用いられているようだった。

中からは、美しい海がずっと見渡せた。

立派な砦だ。

そして、砦を出て、今度は、地図によると近くにあると思われるモスクへと行ってみる。

観光としては開かれていないモスクのようで、多くの人が中で祈りを捧げていた。

それにしても、一度観光地を離れると、この街中の汚いこと、汚いこと。

アレキサンドリアは「美しい町」というイメージがあったが、それは遠目に見たときであり、街中はかなり汚い。

ほんのちょっと観光地を外れただけなのにこの汚さとボロボロの町並みであると言うのは、アレキサンドリアが美しい町であるというイメージをぶち壊すのに十分である。

モスクは、遠くから見るととても美しい。


近づいて見ると、壁がぼろぼろ・・・。

モスク前から再度タクシーに乗り、今度はローマ劇場跡へ。

ローマ劇場跡に来てみたが、今は寂れた跡地だ・・・。

ここは今も何かで使われているようで、椅子が用意されていた。
周囲を見ようと思ったが、あまり時間もないので、割とすぐにそこを出て、近くにある博物館に行くことにしました。

歩いて移動してみると、
そこは、なんと閉鎖されていた。

あれまあ・・・と思っていると、警備員の人がいうところには、5分ほど歩いたところに国立博物館があるという。 そこまで歩くことにする。

そして、アレキサンドリア国立博物館にやってきた。


歩いたら、割と遠かった・・・。

くたくたになりながら、博物館へ。

ここは、予想以上に中がしっかりと作ってあり、展示も力が入っていた。

アレキサンドリアの街中を見た後であったので、所詮この程度の町だろうと少し甘く見ていたが、外見とは裏腹に、中はとても内容の濃い展示だ。

特に、ミイラの展示が特に印象を受けた。

ミイラの近くにいるだけで、何かわからない力を感じた。

何か、”ねっとり”とした雰囲気だ。

凄いものだ。

ここで、昔聞いた話で、チベットで聖人が死ぬときにそのままロウで固めて聖人の聖なる力をそのまま保つ、と言うことが行われていたことを思い出した。

このミイラも、王としての威厳そしてカリスマ、未来を予知する知力、などなどをそのまま保って後世の守り神とするためにミイラになった、と考えてもなんら不思議ではない。

実際は確か、後の世で蘇るためだったりなんだったり解釈されていたようにも思うが、何故か、チベット仏教の即身仏のようなイメージが何度も思い浮かんできた。

そして、国立アレキサンドリア国立博物館を出て、鉄道駅へ。


タクシーに乗るが、またもや不親切。 なんだろう、これは・・・。

そしてアレキサンドリア鉄道駅に辿り着いた。

ここがまた分かり辛い建物で、観光に来る人のことなど考えていないだろう、と言うようなつくり。

外から見て、ここが鉄道駅であることが最初はわからなかった。

更には、多くの時計が2時間近く遅れている!
カイロと時差はない筈なのに。 第一、時差などというきっちりとした遅れでもない。

エジプト人は、一体何を考えて生きているのだ・・・ と疑ってしまう。
2時間遅れても大丈夫なのがエジプト人時間なのか、或いは、各自時計をもっているのか。

駅の外にかけてあった時計は幸いにも正確な時間を指していた。

まだ少し時間があるので、駅の周辺を散策することに。

それにしても、汚い。


何だ、この汚さは。

駅の周辺が一番汚いではないか・・・。

何が、「アレキサンドリアは美しい町」だ。
全くもって汚すぎる。

食べ物や果物も売っているが、買う気になれない・・・。

ぐるりと回り、コーラを1ボンド75ピアストル(これが標準の値段。旅行者には2ボンドや3ボンドや5ボンドや10ボンド、時には15ボンドで売ろうとする)で買い、列車に向かった。

しかし、駅舎まであとちょっとというところで、急に雨が強く振ってきた。

カイロではほとんど雨がなかったのだが、ここアレキサンドリアは地中海の気候なのかもしれない。

風が強く、雲が速いスピードで移動し、雨が振ったり止んだりしていた。

そして、電車でカイロへ。

カイロに戻ってもまだ少し時間があったので、エジプト考古学博物館のすぐそこにあるケンタッキーにまで足を伸ばすことにしました。

まさかケンタッキーのために地下鉄に乗ってはるばる数キロ移動することになろうとは思わなかったが、今やケンタッキーが食べたくてしょうがない。

路上で売っているサンドイッチはおいしくないし、他に食べるものがない。

ケンタッキーがかなり恋しくなってしまうと言う、異常事態だ。

地下鉄を降り、ケンタッキーへ。 さすがにおいしい。
ディナーコンボを食べ、次は、その近くにあるアエロフロートのオフィスを探しに行く。

まだリコンファームしていなかったので、念のためリコンファームをしてもらいに行こうと思ったのだ。

地球の歩き方で見た記憶を頼りに行くが、どうも見当たらない。

おかしいな・・・と思って、あきらめかけたところで、ショッピングモールの壁にアエロフロートの文字があることを発見。その2階にアエロフロートはあった。

が、しかし、本日は金曜日で休みの日であった。しかも、9時半から15時30分までしか開いていないという。

なんとまあ。

かなり歩いたが、もしも次回があれば参考になると言うことで、それはそれでよいとする。

そして、空港に行ったら何も食べられない上に機内食はまずいと思われるので、少し無理してケンタッキーで小さなセットをひとつ食べておくことにする。

これでおなかも一杯になったので、地下鉄でATABAというところへ。

ここか、或いはラムセス中央駅から空港行きのバスが出ているとの情報だ。

だが、そこにいってみたが、周囲の人に聞いても、ここではなくラムセス駅から出ていると言う。

ガイドブックには、ここからもバスが出ていると書いてあるのに・・・。

よくわからなかったが、まあ、あちらの方がバスも多いだろうと言うことで、再度地下鉄に乗って移動し、バス乗り場に行ってみることに。

バス乗り場はどこだ・・・ と思ったら、どうやら、大体の場所が決まっているだけで、しかも行き先が書いてあるわけでもなく、ルート番号だけが書いてあって、その近くに行って乗り込む、と言うスタイルらしい。

難易度が高いが、ガイドブックに書いてある番号をアラビア数字に変換したものを探す。

アラビア数字だけは覚えてきて、本当によかった。
さすがに1週間も滞在していると、アラビア数字を読むのにも慣れてきたところだ。

だが、なかなか来ない。

ルート番号が書いてないバスもあったりする。

何やら整理をしているらしい人に、空港行きか? と聞いて見ると違うと言う。

それを聞き付けた後ろの人が、「空港か? 私も行くところだ。 27番あるいは何とか番に乗ればいい」ということで、27番が早速来たので乗り込むことに。

値段は、来る時は50ピアストルだったな・・・ と思ったら、そのおじさんは2ボンドであると言って来た。 おかしいな? と思ったら、切符は50ピアストルで、おじさんが代わりに買ってあげる分と案内料のバクシーシをふくめて2ボンド、と言うことだったようだ。 なるほど。

うまくやれば気が付かないものを、目の前でやったのでばっちりそれが分かってしまったが、まあ、いいとする。

このおじさんがいなかったら、バスに乗った後に暫く不安なまま乗り続けていなければならなかったからだ。

やがて、空港の新ターミナル(ターミナル2)に着き、次は旧ターミナル(ターミナル1)へと到着した。

私のアエロフロート便はどちらのターミナルか不明であったが、おじさんが言うに、旧ターミナルだろう、と言う。

まあ、まだ時間もあるし、間違っていたら無料シャトルでターミナル間を移動すればよいや、と思って旧ターミナル(ターミナル1)で降りる。

おじさんは、バス停らしきところの直前で降りた。 客じゃなかったのか・・・。清掃なのかスタッフなのか。 でも、案内してもらってよかった。

旧ターミナル(ターミナル1)の中へと入ってみると、アエロフロートは確かにここから出ると言う。合っていた。

そして、チェックインまでの1時間あまりを過ごし、チェックイン、搭乗、そしてモスクワへ。モスクワではトランジットビザを取ってはいたが、予定を変更したこともあり日付が明日のものになっており、日本のロシア大使館の人の話だと「後の日はいいが、前の日はダメ」と言うことなので、試しもせずに、空港ロビーで時間を待った。

実際、もう疲れてしまっていたし、外は曇り模様であったので、とてもロシア観光に頑張って出かける、と言う気分にもなれなかった。

そしてモスクワでの半日のトランジットを過ごし、東京までの10時間以上のフライトをこなす。

ようやく帰ってきた。エジプトは遠かった。

エジプトに行き、言っている間は二度と来るものかと思っていましたが、次第に時間が経つにつれ、また行ってもいいかなと思い始めた。

そんなエジプト。 さすがに世界が認める観光地だけのことはあった。

トピックエジプト