カンクン・ホテルエリア~バスステーション、チチェン・イツァー遺跡、メリダ宿、サンティアゴ教会ダンスパーティー

2008-12-23 記載
トピックメキシコ

カンクン・ホテルエリア~ダウンタウンのバスステーション

今日は、前日が遅い就寝だったにも関わらず目覚めがよかった。

何度も昼寝をしていたから眠気もあまりなかったのかもしれない。

支度をし、朝食が済んだらすぐにでも出かけられるようにし、先日と同じ14階フロアの看板のない部屋の中で朝食を食べる。

ノックしても開かなかったので試しに自分の部屋のカードキーを差し込んでみたらあっさり開いた。

ふむ。そういうものか。

そして1階のレストランとは景色も内容もグレードが違う朝食を、最後のゆっくりする機会だと思いつつのんびり楽しんだ後、チェックアウトする。

部屋には、捨てるつもりだったボロのケースを置きっぱなしにし、リュック+肩掛けバッグのコンパクトな形で外に出る。 いろいろ悩んだが、やはりこのリュックは腰がきちんと固定できるので楽だ。それに加え、カメラは度々出し入れするので肩掛けバッグに入れることにしました。 エジプトのときは同じリュックだけ持っていたのだが、カメラを撮るたびにリュックをあけなくてはならず、かなり面倒な思いをした。 今回、リュックと肩掛けバッグの2つにしたことにより、かなり楽になった。 次もこれで行く可能性が高まってきた。

そんなこんなで、ADO社の1等バスに乗るためダウンタウンに向かう。 聞くところによるとタクシーだと150ペソ(約1200円)だが、R1というルートのバスで行くと6.5ペソ(約50円)だという。 数倍の差であればタクシーを使いたいところですが、この法外なお金を出してしまうのは現地住民に馬鹿にされそうな予感もするので、ここはバスで行くことにする。 まあ、たった1200円とは言えばそうだが・・・。

ホテルを出て、バス停までとことこ歩く。バス停は道の脇にバスの止まるスペースがあるだけで、時刻表が何かあるわけでもない。 他のところでバス停の看板が出ていたところはあったが、ここにはない。 地図には印があるのでそれを確かめることと、道の形からきっとここだということを確かめるしかない。 とは言っても、そこでバスを待っていると思われる現地の人に聞いてみると、たしかにそこはバス停だという。

そんなことを聞いていると、いきなり目的のR1バスがやってきた。早い。 本数が多いのか、或いは運が良いのか。 きっと両方だろう。

そんなこんなで、R1バスでダウンタウンに向かう。

ホテルエリアは本当に綺麗だ。

ただ、この、乗っているバス自体はそれほど新しくはないが。

ずっと直進だったが右に大きく曲がったとき、そこがガイドブックに出ていた、ホテル街方面とバスターミナルの方面とで唯一曲がる交差点だということは容易に予想できた。 思いのほかシンプルでわかりやすい。

前方左側にバスターミナルがあるかな・・・ と思ってそちら方向を見ていると、きちんとADOと社名の表示が出ていた。 裏にはバスターミナルらしき物も見える。ここで間違いない。 ただ、バスはバスターミナルには入らなかったので、その横の大通りで降りた。 他の人も一緒に降りたが、降りる前に運転手に近づいて何か言っていたので、何も言わずともここで止まるのか、或いは他の人が止まってくれるよう言ったからここで止まったのかはわからない。 まあ、ともかく、ここまで来れば多少通り過ぎても問題ないところであるし、道も明らかであるから大事には至らないと思った。 そんな予想はともかく、無事、バスターミナル前で降りて切符を買いに向かう。

ADOのチケット売場はとてもわかりやすかった。スタッフもきちんと英語を喋れるのでスムーズにチケット購入できた。 ふと見ると、どうやら空席は残り5~6だったのでもう少し遅く来ていたならば2等バスで行くはめになっていたかもしれない。今は8時少し過ぎだが、1時間前でぎりぎりだったとうことか。 ついでに帰りの、チチェン・イツァーからメリダまでのバスも予約する。14時10分と17時10分の2つがあったが、後者を選ぶ。すると、こちらも空席が5~6である。危なかった。 チチェン・イツァーの滞在がこんなに長くて暇にならないかどうかが心配ですが、早くメリダに行っても大してすることもないのでこの予定とした。 唯一心配があるとすれば、メリダに暗くなってから着くということで、できれば明るいうちに着きたいのですが、まあ、今回ばかりは仕方がない。

そしてバスターミナルに置いてあったATMでもう少しお金を下ろしておく。再度HSBCを使ったが、やはりセゾン・アメックスが"一時的に使用できません"になっている。 うーむ。カンクンのホテル街だけでなくダウンタウンでも同じになるとは。少なくともATM単体の問題ではないな、きっと。

そして時間を待ち、バスに乗り込む。 最初はバッグを荷物入れに入れようと思ったが、どうやら席の上にも置き場所があるので中に入れることにしました。 中はクーラーが強く効いていて少し肌寒いが、ぎりぎりそのままでOKなくらいだ。

チチェン・イツァー遺跡

そして、カンクンからチチェン・イツァーまでバスは走る。

それにしても真っ直ぐな道で、景色もほとんど変わらない。

ジャングルというか低木の地帯を道路がこれでもかというほどずっと走っている。 これがガイドブックに書いてあった、"1等が通る快適な高速道路"というわけだ。2等だとここを通らず各町を通る・・・。 それはそれは疲れるだろう、きっと。 2等は強盗が乗り込んでくることもあるというが、こんな有名でメジャーなルートであっても強盗が乗ってくるのかはわからないが。

そして、バスはずっと走り続け、12時少し前にようやくチチェン・イツァーに到着した。予定3時間に対し、少し早く着いた計算だ。

そして中に入ろうと思ったが・・・。チケットを買う列が長く長く続いていて、結局チケットを買うために30分近く並んでしまった。 なんじゃこりゃ。

チケットを買った後、まず荷物を預けることにする。これは無料のようだ。 そして、帰りのバスまではかなり時間があるため、そのまま急いで見に行くのではなく、まずレストランで食事をすることにしました。

食事を取りながら、今後の日程の計画も練る。

とそこで、ふと目の前でダンスをし出すパフォーマーたち。音楽にノリながらいい足ステップを打ち、頭にビールを乗せたりしながらお客を楽しませている。

食べながら見ていたが、最後にチップをお願いする帽子を持って席まで来た。(苦笑)

そしてゆっくりできた後、いよいよ中に入る。

チチェン・イツァーは"泉のほとり"のイツァー人という意味で、ユカタン半島最大のセノテ(聖なる泉)なのだとか。 遺跡には2つの時代のものがあり、6世紀頃のマヤ古典期が"旧"チチェン・イツァーで、10世紀以降にトルテカ文明と融合したものが"新"チチェン・イツァー遺跡になっているとのことだ。 保存状態が良い物は基本的に後者で、ここ最大のピラミッドであるエスカスティージョ(ククルカン神殿)も"新"チチェン・イツァーのようだ。

このエスカスティージョ(ククルカン神殿)は、少し前まで登れたのだが、噂では誰かが落ちて死んだ後から登れなくなったのだとか。 それだけでなく、階段の状態も表はともかく裏や側面は崩れ落ちてきているので安全性に問題が出てきたのかもしれない。もちろん、遺跡の保存が最優先であることは言うまでもない。 とは言っても、ちょっと前まで登れたのに登れないのはちょっと寂しいものがある。

登坂禁止の看板

登坂禁止の階段。

旅行していて思うのは、"形"はガイドブックなどの写真でわかるが、"大きさ"はなかなか写真ではわからない、ということ。 実際にこれを見てみると、私の主観では"思いのほか小さいな"と思った。 それと、建造物として見たときに"荒"が目立つ印象である。 エジプトのギザピラミッドのように寸分違わずビシっと並ぶ、という感じではない。 エジプトのピラミッドの中にも、"初期に建てられたピラミッド"がいくつかあるが、ここエルカスティージョ(ククルカン神殿)はそのような、エジプトで初期に建てられたピラミッドとクォリティは類似しているような印象を受けた。

もうちょっと凄いクォリティを期待していたのだが、ちょっとがっかり。 周囲で売られているお土産屋の露天に並べられている商品も、手堀なのはわかるが、いかんせんクォリティが低い。 もうちょっとクォリティ上げてくれないと触手が伸びない。

そんなこんなでエルカスティージョ(ククルカン神殿)を横切り、まず北ゾーンの”ジャガーと鷹の台座”に立ち寄る。

そして、そのすぐ近くにあるツォンパントリ(頭蓋骨の城)も見てみる。

ここは、生け贄の頭蓋骨を大衆にさらす場所だとか・・・。 おいおい・・・。

マヤの文化ではなく中央高原のトルテカ文明のものだとか。

その後、すぐ近くにある球戯場に向かう。

この球戯場は、手は使わず足や上腕で壁上方に備え付けられた輪の中に通すものらしい。

そしてびっくりなのが、この勝者が生け贄になるということ。 それと、この会場は上方が狭まる壁の作りになっていて、手を叩くととても響くのだとか。 確かにそう感じるものがあった。

それにしても、勝者を生け贄にしていたら人材が育たなくなってしまいそうだが・・・。


写真左上に小さく見えるのが ”輪”。

そして、球戯場を見終わった後、あまりの混雑と時間の流れの遅さに気付いたので、芝生の上でしばし昼寝をすることにしました。 天気は曇りなので暑すぎることもない。


そして横になり、うとうとしていた・・・。 しばらく曇りだったようで、2時過ぎに太陽の光が出てくるまでそのままゆっくりしていた。

太陽の光が出たら、それはそれで暑すぎるので日陰へ待避。

待避してもそこでまた寝るような芝生はないので、ちょっと座って休んだ後、次のところを見にいくことにする。

次は金星の台座を横切り、戦士の神殿を見に行く。

戦士の神殿。


確かに、戦士と言われればそうかもしれない。

「千本柱の神殿」とも呼ばれているようだ。


昔はこの中にも入れたようだが、今は入れない。

ずらっと並ぶ石柱の横を歩く。

ここで、私はひとつ勘違いをしていた。 このチチェン・イツァーの名前の由来であるセノテ(聖なる泉)を、地図の中間にあるセノテ・シトロクであると勘違いをしたのだ。そして、肝心の聖なる泉セノテを見逃してしまった。 こんな失敗は久々である。 うーむ。 やってしまった。 その日の夜に地図を見ていて気が付いた。 ガイドツアーでは絶対にない間違いである。

くよくよしても仕方がない。 写真で見る限りは単なる草ボウボウの中の水たまりといった雰囲気だが、何事も自分の目で見てみないとわからないものだ。 次来る機会があるかわからないが、さすがにこれだけのために来たりはしないだろうな。 数十年後に復旧の進んだピラミッドを見に来るのは手かもしれないが。

そんなこんなでセノテを通り過ぎ、戦士の神殿へ。

横には、まだ ”千本柱の間” が続いている。


昔はこの柱の上に茅葺きの屋根がずっと広がっていたのかな? と想像する。 ここに来る途中の道ばたにも多くの茅葺きの家があったことだし。

茅葺の家を支える支柱、と考えると想像が広がる。

テレビで見た インカ・マヤ文明特集 でも、このような柱の上には茅葺の屋根が乗ると言っていた記憶がある。

そして球戯場およびスチームバスを見た後、市場跡に向かう。

ここの柱は他と比べかなり高い。

高い柱の上にも茅葺の屋根が乗っていたのだろうか。


そして、一度エルカスティージョ(ククルカン神殿)の近くに戻った後、今度は"旧"チチェン・イツァー方面に向かう。

途中の道端には、多くのおみやげ物屋がある。

面白そうなものもあるが、今買ってしまうと重くて大変なので見送った。

"旧"チチェン・イツァー方面に向かう途中、エルカスティージョ(ククルカン神殿)を横切るが、こちら側から見るエルカスティージョ(ククルカン神殿)は階段がかなりぼろぼろなのがわかる。

これだけぼろぼろなのであれば、登坂禁止になるのも頷ける。


どうやら、入り口側のみ綺麗に修復されていたようだ。

そして、"旧"チチェン・イツァーのエリアにて ”高層の墳墓” に立ち寄る。

写真を撮っていると、横に立ち止まったガイドが次のように言っていた。"私が子供の頃は、本当にぼろぼろでした。5年前がこの写真です(と言って写真を見せた)。そして現在がこれ(目の前の姿)。びっくりするでしょう?"と言い、更には、復旧活動が進んでいるさまを説明していた。

なるほど。 写真は本当にぼろぼろだし、それに、復旧されているとは言え、手前の階段と比べ、横の階段はぼろぼろのままだ。
横の階段

ここに来て思った私の第一印象としてはピラミッドに登れなくなって残念だというものだったが、こうして少しずつ復旧が進むのであれば、登れなくなっても仕方がないなと思い始めた。 ピラミッドを登ることより、復旧が済んだ形で綺麗なピラミッドを見てみたい気持ちの方が勝る。

ガイドの話を横耳で聞きつつ、なるほどなあと頷いた。 復旧がかなり進んだらまた来てみたいものだ。 その時もピラミッドに登れなくてOKだ。

そして赤い家と呼ばれる建物を越えてカラコル(天文台)へ。
赤い家

カラコル(天文台)は、まさにそれっぽい建物だ。

近代的な天文台にとてもよく似ている。

凄いものだ。


その周囲には、尼僧院と呼ばれている、実際は何かわからない建物などもあった。

そしてカラコル(天文台)を後にする。

その後、もともと聖なる泉セノテだと勘違いをしていたセノテ・シトロクを見るため横道にそれる。

チチェン・イツァーの名前の由来は"泉のほとり"のイツァー人とのことだが、そのセノテ・シトロは泉とは言い難い、崖のずっと下にある沼のようなおっかないものだった。

覗き込むと、随分と深くて暗い。 ちょっと怖いくらいだ。


この日の夜まで、ここが名前の由来の泉だと思っていた。

そして、エスカスティージョ(ククルカン神殿)の近くに戻る。


まだ3時だ。バスまでは2時間もある。 外に出ても仕方がないので、エスカスティージョ(ククルカン神殿)が見える場所で腰掛けに座り、時間が経つまでぼおっとピラミッドを眺めていることにしました。

思いのほか時間は早く流れるもので、ピラミッドをずっと眺めていると、次第に1時間、1時間半と時間が流れた。

時間が経つにつれ、人もまばらになってゆく。

座って周囲を観察していると、木々には多くの鳥が止まっていることにも気づく。




そして、外へ。

いよいよバスに乗ってメリダに向かう。ADO社の1等バスだ。

走り出した後、しばらくすると周囲は真っ暗になった。 席の横窓からは明かりもほとんど見えない暗闇の中を、バスはジャングルの影だけ横に見て進んで行く。

メリダ宿泊 & サンティアゴ教会ダンスパーティー

そして2時間後。メリダに到着。

1等社のターミナルに到着したので、近くにある2等社のターミナルに向かう。目的は、ウシュマル・ラブナ・シュラパック・サイル・カバーを全てまわる周遊券、ATS社のTour a la Ruta Puuc を買うためだ。

ターミナルはすぐに見つかり、券も簡単に手に入る。 値段表にはただ単に"Ruta Puuc"とだけ書いてある。空席も沢山あるようだ。


これで明日の準備は整ったので、いよいよ宿を探すことにする。

駅前はうるさいので少し離れたところがよいと思い、少し歩いて落ち着いた宿を探す。

駅前はまだ良いが、やはり暗い街は好きではない。

どうやら危険はあまりなさそうだが・・・。


それでも、気をつけながら道を歩く。

そして、しばらく歩いた先にあった Casa Bowen というホテルに決める。1泊180ペソ(約1450円)を2泊。 部屋をまず見せてくれと言った後、最初は道路沿いの2階の部屋に案内されたが車の音が五月蠅いということで他の部屋に変えてもらい、次は奥まった、暗い廊下と暗い階段を通った先にある静かで不気味な部屋に案内されたが、通路と廊下が危険だからこの部屋は嫌だと伝えて、別棟ではなく本棟の2階の、道路から少し離れた部屋に最終的に決めた。 スタッフが言うには、ここは1泊200ペソだということであったが、ディスカウントをお願いしたら180ペソにしてくれた。 うむ。 いろいろ部屋に注文を付けてみたが、最終的には部屋も値段もいいところに落ち着いたようだ。 日本人にしては注文を付ける方だったかもしれない。

そして、軽くシャワーを浴びた後、近くにあるサンティアゴ教会にダンスおよびライブを見に行く。 食事もまだ取っていないのでそのついでだ。

通りを少し歩き、サンティアゴ教会に無事到着。 町が升目に出来ていて、それぞれに通りの名前がしっかりと入っているので地図さえあればまず迷うことがない。 なかなかいい町の作りをしていると思った。

サンティアゴ教会ではかなりの人がダンスを踊っていた。

なかなかに盛り上がっている。

少し見学した後、私は食事を食べることにしました。

そこにある食堂で食べたが、焼き肉とパンが35ペソ(約280円)、コーラ・ライトが10ペソ(約80円)と、かなりの良心的な値段設定だった。 きっとこのくらいの価格が一般庶民の値段感覚なのであろう。

そのすぐ近くでホットドッグも食べた。

まあまあだ。

上から2番目の、MAXI HOT DOG というもの。

8ペソ(約60円)だ。

そしてその近くにスーパーがあったので、小型石鹸や飲み物を買った後、更にダンスとライブ演奏を見る。 そして、10時でパーティーが解散したのを見計らって私もホテルに戻った。

さて。明日は遺跡ツアーだ。

チチェン・イツァーほどの規模は期待していないものの、テンポよくいろいろ見られればと思う。

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