トゥイホアから南下
今日は元旦。でも、ベトナムでは旧正月を盛大に祝うそうなので、太陽暦の正月は重要ではないらしい。
今日も朝から少し雨模様。嫌な一日になりそうだ。
支度をして、さて出発しようとしたら前輪の空気が抜けていることに気付いた。 その場で修理をする。 何とも、タイヤ修理の多い旅だ。(こういう時もある)
修理を済ませ、雨の中を走り始める。 | |
遠くまで広がる景色。 | |
まっすぐな道を、進んでゆく。 | |
向こう側に、古い橋と周辺の集落が見える。 | |
雨は、割と長く降り続いていて、30分後には止んだ。
ちょっとした丘に差し掛かる。 | |
周囲には田んぼ。 | |
再度、ちょっとした丘を抜けてゆく。 | |
思いのほか高さがありそうな気がしてきた。 | |
とは言っても、ベトナムの1号線で最大の峠は既に通っていたので、それほどの峠ではないということは予想できる。 | |
緩やかな坂を、上ってゆく。 地図ではそれっぽくは書かれていなかったのだが、峠があっても不思議ではない場所だ。 |
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そして、順調に走らせていると、ふと目の前に2人の自転車乗りがいることに気付いた。
今回の旅で初めて会った自転車乗りだ。 どうやら、ドイツ人の夫婦とのことだ。 ハッピーニューイヤーと話しかけて、巡航速度が合わない感じだったので私が先に行く事に。
次第に、本格的な峠になってゆく。 | |
山々を見つつ。 | |
峠道を、登ってゆく。 | |
ニャチャン(Nha Trang)へ続く峠道
登っている途中、下の方を見ると先ほどのドイツ人夫妻が登っているのが見えた。 | |
ドイツ人夫妻サイクリスト |
やがては峠の頂上へ。 ゆっくりと登り、登りきる少し前の時点で、再度雨が降ってきた。 これは強い雨だ・・・・。 しかも、峠の上だからか、風が冷たい。 |
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ふと、上ってきた方角を省みる。 | |
ここからは下りだ。 まさかベトナムで寒さに震えることになろうとは・・・。 しばらく、峠の下りを寒さに耐えつつ進むこととなった。 |
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海岸も見える、景色の良いルート。 | |
下っている途中、バイクの人が横に並んで、何やら話し掛けてきた。 何を企んでいるのかは知らないが、どこから来たのかとか、どこへ行くのかとか聞いてくる。 必要以上には答えずにしばらく進み、ブレーキの調子が悪くなっているのに気付いた私は丁度良いタイミングだと思い、止まって修理をした。 その瞬間、バイクの人は先へと行ってしまった。
修理を済ませ、坂を再度下り始めた。 ゆっくりと下り、やがては最後という時に、後ろから先ほどのドイツ夫妻のうち夫の方が追いついて来た。 平坦な道となり、しばらくは一緒に行く事に。 どうやら、休みが4週間あって、ハノイからサイゴン(ホーチミン)まで走るのだと言う。 何とも羨ましい。
ドイツ人夫妻の後姿。 | |
海岸線を見つつ、進んでゆく。 | |
快適な道。 | |
しばらく一緒に走り、向こうが何故かスローダウンしたので私は先に行く事に。 手信号で先に行っておくれと伝えてきたということもある。 |
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そして、再度、一人で平坦な道を走って行く。 | |
風の強い平野
なかなか風の強いところだ。 木々が横に向かって生えている。 |
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まっすぐな道を。 | |
山々を見つつ。 | |
横風の中、進んでゆく。 | |
次第に、風も止んできた。 | |
少し走った先で、私は食事休憩を取ることに。 まだ朝ご飯を食べていなかったのだ。 そんなところを先ほどの夫妻が通り過ぎてゆく。 食事休憩の時、又しても子供と母親、近所の人に囲まれてしまった。 悪くはないが、近所から出てきた女性の目線が冷たいのが気にかかる。 思想的に何かあるのだろうかと勘ぐってしまう。
そして、食事を済ませ、走り出す。
なだらかな道。 そして、ここに来て次第に風向きが変わり、斜め後ろから風が吹くようになったので、とても順調に進むことができた。 |
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草原地帯。 | |
道は、まっすぐ続く。 | |
ふと、横に線路があるのが見えた。 そして、後ろから電車の音が聞こえてきた。 |
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そして、後ろからゆっくりと電車が通り過ぎていった。 | |
のんびりと、電車が通り過ぎてゆく。 | |
そして、更に進んでゆく。 | |
ニャチャン(Nha Trang)到着
いくつかの小さな丘を越えてゆくと、次第に景色が変わり始めた。 段々と、水が綺麗になってゆくように感じる。 ニャチャンが近いことを感じる。 |
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変わった建物。 | |
丘の上から見える景色。 | |
丘の上から見える、鉄道の路線。 | |
次第に、南国の雰囲気へと変わってゆく。 | |
道を、走ってゆく。 | |
快適なルート。 | |
そろそろ、ニャチャンだ。 | |
標識を見ていると、どうやらニャチャン(Nha Trang)へショートカットする道と、大通りを通って回り道をする道とがあるようだ。 地図を見る限りは大回りが主体で書いてあったのだがショートカットをすれば近いようなので、そちらに行ってみることに。 その入り口は一見分かりづらかったが、距離標識にニャチャン(Nha Trang)と書いてあったので判別することができた。
そして、ちょっとした峠を越え、いよいよニャチャン(Nha Trang)へ。 | |
ニャチャン(Nha Trang)
いよいよニャチャンだ。 | |
交通が次第に多くなってゆく。 | |
そして、中心部へと抜ける大きな橋を渡ろうとすると、ふと、右側に大きなチャム遺跡があることに気が付いた。 「ポーナガール・チャム塔」というらしい。 早速、そこへ行ってみることに。 |
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ポーナガール・チャム塔 |
入場料を払って中に入ろうとすると、いきなりはがき売りが来た。
そしてその後には物乞いが、「くれるのが当たり前だろう。よこせ。」という表情と手振りで威張っていた。 なんじゃこりゃ・・・ と思い、無視してポーナガール・チャム塔を見に行く。
ポーナガール・チャム塔は、立派だった。 | |
先日のミーソン遺跡と同じような形式の遺跡である。 規模はそこそこであるが。 |
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ミーソン遺跡より手入れがきちんとされているように感じる。 | |
手入れのされている、立派なチャム塔。 | |
中では仏像が飾られており、寄付も募っていたので少し(10万ドン(672円)ほど)あげたら、おみやげに花をもらってしまった。 こっちの価値で10万ドンは高かったのかも・・・。
チャム塔から見た、ニャチャン中心部へと続く橋。 | |
いよいよ橋を渡り、中心部へ。 | |
街中を、散策する。 | |
海岸を見てみる。 季節がらか閑散としているが、なかなか良いビーチだ。 |
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海岸線のルートを通ってゆく。 | |
さてどのホテルにしましょう・・・ と思って最初に決めたところが、なんと取り壊し中で、隣の違う名前のホテルに変わってしまったのだと言う。 それなりに高そうだったので、再度うろついて探すことに。 ロンリープラネットを確認しつつ、ようやく決めたのがHAI YAN Hotelというところ。一泊25万ドン(1678円)で、三ツ星のホテルのようだ。 2泊する予定だし、最後には飛行機にも乗るので、少し良いところがいいと思ったのだ。 でも、日本円にしたら微々たるもの。 設備もなかなか良かった。
そして、街中を歩き、明日のボートツアーを探しに出かける。
ボートツアーは、割とあっさりと見つかった。 ロンリープラネットに書いてある代理店に行ったら、あっさりと見つかった。 ただ、同じツアーがその横と横の代理店でも売っており、ロンリープラネットに記述のある元締めが一番安かったのでそこにしました。 |
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今回参加するツアーのルートマップ。 | |
明日の心配はなくなったが、海水パンツが必要だと言うので、買いにいくことに。 ショッピングセンターにあるとのことなのでぶらぶらと歩き、人に聞いたりして、辿り着くことができた。 最初、海水パンツを買おうと思ったのだが、水泳をするようなものしかなかったので、短パンを買うことにしました。 それと、サンダルも購入した。短パンは約6万ドン(403円)、サンダルは12万ドン(805円)である。
同じビルで食料品も売っていたので、オレンジジュースと水を買っていこうと思った。 そして、レジに並ぶのですが、妙に人が詰めて並んでいる。 なんじゃなんじゃ・・・ と思っていたら、どうやら、割り込みをする人がいるらしい。 さすがはベトナム。日本じゃ有り得ない。 更に、私の目の前のレジで、レジの後ろに回りこんだ人に買い物かごが回り込んで手渡され、抜け道に買い物かごを置いてレジをさせるという人が目の前に現れた。 これは常識を逸している・・・ と思ったが、ベトナムだからしょうがない。 しばらくレジの人はそのかごを無視していたのだが、ようやく自分の番になったら、レジの人がその籠を10cmくらい手前に引き寄せるではないですか。 これは、私の番の前に割り込まれるということを意味している。 そんなことを許す筈もない私は、自分のかごで「ガツン!」と相手のかごをぶつけ、引き寄せたのと同じ10cmくらい押し戻し、自分のを先に処理させた。 状況によっては「ファックユー」とでも言ってあげようかと下品にも考えていたのだが、それをやらずに済んだ。 だが、なんとも後味が悪い。 相手は無視してレジが終わるまで突っ立っているのだから、何とも始末に悪い。
日本で同じような立場なのはヤクザだろうか。 日本のヤクザは義理と人情、人と人との繋がりを考えるが、こちらのマフィア(だろう、恐らく)は自分勝手で好きなことをしているだけだから始末に悪い。
このような最悪の状況を見てしまうと、フランスがベトナムを植民地にした結果と、日本が台湾という土地で行った植民地政策の良好な結果とを、どうしても比べてしまうのだ。
一概に植民地政策を悪としては何も見えず、植民地政策のもたらした良い面にも目を向けてこそそれぞれの国の状況が見えてくると思える今日この頃である。
買い物を済ませ、宿に戻る事にする。
宿に戻るまで、塗れた靴を履いている足元が気持ち悪かったが、一度宿に戻り、サンダルに着替えたら見違えて快適になった。
そして、宿の目の前にあるレストランに入り、魚料理を満喫する。 ここに来てようやくこの旅初めてのビール(サイゴンビール)を飲み、ひと段落付いたと、落ち着くことに。
そして、ようやく部屋に帰ってきて、鏡の自分を見ながら、今日一日の不快な出来事が自分の表情にどのように影響しているのかを観察してみた。 そして、深呼吸をして、表情を和らげようとした。
それにしても、この硬い顔を見るに、段々とベトナム人の”表情と口調のきつさ”に対しての耐性が切れてきたようだ。 段々と我慢比べレースみたいになってきた感がある。 いい訓練と言えば聞こえは良いが、旅に出てまで不快な気持ちを貯めたくはないものだ。
明日のボートツアーが思いやられる・・・。